東大で女性として初めて教授になったのは、中根千枝だと言われている。女性であることを活かした視点で研究をしてはどうかという周囲の勧めに対して、婦人問題や女性解放論にはまったく興味がないと断言した。完全な男社会である当時のキャンパス環境で活躍するため、日本特有の「タテ社会」での処世術を極めたのだった。※本稿は、矢口祐人『なぜ東大は男だらけなのか』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
東大が女性初の教授を
明らかにしないワケ
戦後の東大にいつ女性教員が誕生したかを調べるのは容易ではない。記録がないはずはないのだが、東大は教員を「女性だから」という理由で採用したわけではないので、誰が最初だったかはあえて明らかにはしていない。
東大初の女性教員は社会人類学者の中根千枝だと思われる。東大が女性の入学を認めるようになって2年目の1947年に入学した中根は、1950年に文学部の東洋史学科を卒業し、大学院に進学した後、1952年に東洋文化研究所の助手となった。その後、インドやヨーロッパへの留学を経て、1958年に講師となり、今度はアメリカとイギリスで研究を続け、1962年に助教授に昇格した。
1970年に教授となり、1980年には東洋文化研究所長となった。所長就任を報じる1980年2月23日付の『毎日新聞』(夕刊)が、中根は「女性第一号コースを歩み続け、そのたびに話題になった」と記しているように、東大で就く職位のすべてが「女性初」であったとされている。
しかし、それは東大の公式記録ではない。2021年に中根が逝去した直後、ダイバーシティ担当理事の林香里が調べても確認できなかったという(注1)。
注1 林香里「女性と『人文社会科学』の振興」『RESEARCH BUREAU 論究』第20号、2023年12月、19〜28頁。なお、ここで論じる中根千枝への言及は、この林の論考に詳しい