大前の企業戦略に対する斬新なアプローチは、企業リーダーたちを刺激し、革新的でシンプルで型にはまらない考え方へと向かわせた。1970年代の終わりから80年代にかけての彼の著作は、日本のマネジメント技法が西洋に導入されるさきがけとなった。
大前は日本式ビジネスを伝える使者であり、競争優位を勝ち取り維持するために独創的に考え、明快でシンプルなアイデアで常識に立ち向かうようマネジャーたちに説いた。
人生と業績
大前研一は1943年九州生まれで、早稲田大学を卒業した後、東京工業大学原子核工学で修士号を、マサチューセッツ工科大学大学院(MIT)原子力工学で博士号を取得した。1972年にコンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、日本支社長になった。彼は原子物理学者であるだけでなく、熟練のクラリネット奏者であり、政治活動家でもある。1995年に彼は東京都知事選に立候補し、当時の中曽根首相のアドバイザーも務めた。
大前は現在もコンサルタントとして活躍し、新しい提案・コンセプトを提供し続けている。彼が特に関心を抱き、専門としているのは、創造的戦略の立案とそれを実行するための組織の開発である。
大前の最初のベストセラー『企業参謀』(The Mind of the Strategist)は1975年に日本で刊行された。だが、この本がアメリカで出版されたのは、日本のマネジメント手法への関心が高まった1980年代初めになってからだった。1982年のアメリカ版には「日本企業の技法」(The Art of Japanese Business)という副題がついていた。この本で大前は、日本企業が成功したのは、日本的戦略思考の特質によるものであるとしている。それは日本式マネジメントに対する西洋の固定観念とは対照的に、非常に創造的で直感的でビジョン先導型である。大前は、この創造性の中身は何か、どうすれば身につけられるかについても説明している。
大前が示した考え方は日本のマネジャーに対する西洋の伝統的認識を覆し、彼らの成功が並外れて合理的な長期的思考に基づいているという考え方を覆した。大前は創造性とイノベーションによって革命を起こすことができるとし、創造性が1人の才能ある戦略家の手にかかるといかに大企業を変貌させることができるかを示した。
1990年の著書『ボーダレス・ワールド』(The Borderless World)は、日本企業や世界中の企業に対し、戦略計画にはグローバル化を考慮に入れるよう説いた。彼は企業に競争戦略(ポーターらが非常に効果的に普及させた)ばかりに注目するのではなく、「国」と「通貨」にもっと重点を置くよう勧めている。この2つは、相互依存の世界経済において企業戦略を構築あるいは破壊しうる主要な要素であると大前は考えていた。この考えは、グローバル企業や企業と国家との関係に大前の関心が移っていたことを反映している。企業と国家との関係は、他の2冊の著書、『Beyond National Boundaries』と『地域国家』(The End of the Nation State)のテーマでもあった。