17歳の女子高生・児嶋アリサはアルバイトの帰り道、「哲学の道」で哲学者・ニーチェと出会います。
哲学のことを何も知らないアリサでしたが、その日をさかいに不思議なことが起こり始めます。
ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ショーペンハウアー、ハイデガー、ヤスパースなど、哲学の偉人たちがぞくぞくと現代的風貌となって京都に現れ、アリサに、“哲学する“とは何か、を教えていく感動の哲学エンタメ小説『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』。今回は、先読み版の第3回めです。

お前は、道徳に縛られているのだ!

「まあ、私の話はおいておいてアリサの話を聞こうではないか。何かに悩んでいるのだろう?」

 ニーチェは咳払いをすると、話題を変えた。

「ああ、私ね。悩んでいるというか……ありきたりな話なんだけれども、失恋したっぽくて」

「恋人に捨てられたのか?」

「いや、捨てられたというかもともと付き合ってはないんだけど、好きな人が、彼女と歩いているのを見てしまって」

「ほう」

「その好きな人と彼女を、応援しなきゃって思うけれど……」

 そこまで話すと、口に出してはいけないような、ネガティブでドロドロした醜みにくい気持ちがこみ上げてきた。

 こみ上げてきた気持ちを、ぐっと飲みこむ。

「応援したいけれど、けど悲しいというか。応援したいけれど、心の中では複雑というか」

「ほう、応援したいけど、応援しきれないということか?」

「そうだね、そういう感じかな」

「どうも妙な話だな。ではひとつ聞くが、アリサはなぜ“応援したい”のだ?」

「それは、やっぱり人として、人を恨んでばかりじゃだめだなって思うの。何事もポジティブにとらえて応援しなきゃって」

「応援しなきゃというのは、自分の欲求か?」

「自分自身の欲求かと聞かれると、正直わからないけど、そうしなきゃ!とは思うの」

 考えれば考えるほど、深刻な気持ちになっていく。

 陸上部にいた頃、怪我で秋季大会のリレー競技に出場出来なくなった私を責めることなく「春は一緒に走ろう」と励ましてくれたのは由美子先輩であった。そんな由美子先輩のことを応援していたいんだけれども、私は心の底から、二人を応援しきれるかと聞かれると、自信がない。恩義を感じている由美子先輩に対してこんな風に思うなんて自分でも、なんて不思議な人間なんだ、と情けなくなる。

 口には出せないでいるが、自分の中に、妬みや憎しみがぐちゃぐちゃと混ざった醜い気持ちが、顔を出すのだ。頭ではわかっていても、理性的になれずに、いまにも暴れだしそうな気持ちを必死に抑えつけようとしている自分がいることに気づいている。