するとニーチェは、あろうことか「ハハハハハハ、あーおかしい、あーおかしい」と言い、私の背中をバンバン叩きながら笑いだしたのだ。
「痛っ!何するの!」
「いや……ごめん、ハハハハハ!」
ニーチェはしばらく「いや、ちょっとタンマ、ちょっとタンマ(笑)」「いまのツボったわ、ジワる」と言いながらしばらくヒーヒーと笑いつづけた。なんなのだろうこの男。失礼を通り越して、無礼すぎやしないか!
「どういうこと?人が真剣に話しているのに」
「ハハハ……いやアリサ、それは、道徳に支配されているだけじゃないか」
「道徳に支配されている?何それ」
「つまりお前は、道徳に縛られているのだ!ププッ」
「どういうこと?」
ニーチェはまだ笑いを引きずっており、必死にこらえながら話をつづける。
「お前は、二人のことを応援できないという“自己中な自分”と二人のことを応援しなきゃという“非利己的な自分”のうち“非利己的な自分”の方を神聖化しているというまでだ」
「ちょっとよくわからないんだけど、非利己的な自分を神聖化しているってどういうこと?」
「つまり、お前は自己中な人間ってことだ。
しかし、自己中ではいけないとも思っている。いや、思っているというよりも思いこんでいるのだ。つまり“自己中ではいけない”という道徳に縛られているのだ」
「ちょっと待ってよ、そりゃ自己中なところもあるよ、けれど、それだけじゃやっていけないじゃない、人のことを考えることも大切でしょ」
「そうだ、私はなにも人のことを考えるなと言っているわけではない。
しかしお前は、非利己的な自分を肯定して、自己中な自分を否定している。それはなぜだ?」
「なぜって、それは、自己中な考え方はよくないというか、人のことを考えられる方が素敵でしょ」
「それはお前の意見なのか?それとも道徳を鵜呑みにしただけなのか、どちらだ?」
「一口には言えないよ、道徳としても習ったけれど、自分でも、たしかにそのとおりだなあと思うし」
「ではなぜ、他人のことを考え、道徳を守ることが大切なのだ?」
「それは、だってそうしないと人とうまくやっていけないでしょ?しかも、自分のことだけを考えるような自分勝手な人になりたくないし」
「つまり、すべてはお前のため。ということだな」
「私のため?違うよ、人のためでもあるよ」
「いや、自分勝手な人になりたくない。というお前のエゴのためではないか。
自分勝手な行動を避けることによって、他人とうまくやっていくためでもあるし、自分の自尊心を高めるためでもある、ということだろう。
つまりお前は、自分のエゴによって“自己中でない自分でいる方がいい!”と思っているにすぎないのだ。なのになぜ“自己中な自分”を否定する?」