15歳で「母」になる――
「誰とも心からわかりあえない」暗黒時代
株式会社ウィズグループ代表取締役、株式会社たからのやま代表取締役。鹿児島生まれ。インド国立ボンベイ大学(現州立ムンバイ大学)大学院社会福祉課程修了。1991年にIT特化のカンファレンス事業を起業し、数多くのITプライベートショーの日本進出を支える。2001年に株式会社ウィズグループを設立。2008年よりスタートアップの育成支援に乗り出す。2013年には徳島県の過疎地に「株式会社たからのやま」を創業し、地域の社会課題に対しITで何が出来るかを検証する事業を開始。著書に、『会社を辞めないという選択』(日経BP社)、『ワクワクすることだけ、やればいい!』(PHP出版)など。
【右】斎藤祐馬(さいとう・ゆうま)
トーマツベンチャーサポート株式会社事業統括本部長。公認会計士。1983年生まれ。中学生のとき、脱サラして起業した父親が事業を軌道に乗せるのに苦労している姿を見て、ベンチャーの「参謀」を志す。2006年、監査法人トーマツ(現・有限責任監査法人トーマツ)入社。2010年、トーマツベンチャーサポート株式会社の再立ち上げに参画。現在は、「挑戦する人とともに未来をひらく」というビジョンのもと、国内外で奮闘する100名以上のメンバーとともに、ベンチャーだけではなく、大企業、海外企業、政府、自治体などとも協働し、自らのミッションを生きる日々を送っている。起業家の登竜門「モーニングピッチ」発起人でもある
斎藤 「感情曲線」を拝見すると、15歳から一気に深く沈んでいますが、このときは何があったんでしょうか?
奥田 15歳で親元を離れて暮らし始めて「母」になったんです。
斎藤 15歳で「母」、ですか……?
奥田 これまたよくわからないですよね。私が中学3年生の夏休みのこと、今度の3月に父の異動がありそうで、父の読みでは今度の赴任先は離島になりそうだと父から告げられました。話にはまだ続きがあります。そこには高校がなく、大学への進学を考えると、鹿児島市内の高校に通ったほうがいいだろうと、父親が市内に建てていた家に2歳下の妹と2人で暮らすことになったのです。
斎藤 すごい展開ですね……。
奥田 鹿児島市内での暮らしは、炊事・洗濯などの「家事」一切と妹の「子育て」、そして学業をどう両立させるかに追われる日々でした。生活費は、父の給料の受取口座にもなっていた銀行の通帳を渡され、「この中からやりくりしなさい」と言われていました。食費や生活費の管理はもちろんのこと、公共料金や家の固定資産税の支払いまで、すべて私がやっていました。いわば、私は高校生にして「母」になり、普通の人が30代半ばごろで直面する「家事と仕事の両立」という問題に向きあうことになったのです。
斎藤 返す返すもすごい展開ですが、それが「感情曲線」でマイナスに描かれているのはなぜでしょうか?
奥田 高校の同級生には、私と同じように「家事と学業の両立」に悩んでいる人はいません。当然ですよね。親とも離れて暮らしていますし、妹には頼れない。誰とも心からわかりあえない、私の最初の暗黒時代です。それから20年後、私は本当に「母」になり、もう一度「家事と仕事の両立」問題に直面します。それが、最初の起業につながっていくのですが、私が2度も直面したこの問題にケリをつけるため、という意味あいが大きかったように思えます。