「Mac World」や「Windows World」、「Interop」や「Google Developer Day」など、これまで数々のビッグイベントを日本で開催し、「IT業界の女帝」との異名を持つ奥田浩美氏。2001年、IT分野のカンファレンスを企画・運営する「株式会社ウィズグループ」を立ち上げ、2013年には、ITと対話型ロボットにより地方の課題解決を目指す「株式会社たからのやま」を創設。地方に住むお年寄でもテクノロジーを身近に使えるように、IT業界の若き起業家や開発者らを巻き込んで、地方で「共創の場づくり」に取り組んでいる。奥田氏を絶えず挑戦へと駆り立てる「原体験」には何があるのか――。
ベンチャー支援のプロフェッショナル・斎藤祐馬氏が、著書『一生を賭ける仕事の見つけ方』で大好評のノウハウ「感情曲線」をもとに、まるで10先を見越したかのような挑戦を続ける奥田氏の「原体験」を明らかにする!

「感情曲線」を描き、「原体験」を探る
――自分の「熱量のありか」を確認する最初のステップ

奥田、読みました。私もこれまで何冊か本を出していますが、2015年2月に刊行した『会社を辞めないという選択』(日経BP社)とのつながりを感じ、勇気づけられました。私の本では、会社を辞めずに社内でどう変革を起こしていくかをテーマに、変革を起こすには強い感情とミッションが必要になると書きました。斎藤さんも、まさに同じことを書かれていますよね。

斎藤 そうですね。この本では、キャリア志向からミッション志向へ――つまり、自分のミッションに従って仕事をつくりあげていくことを提唱しています。人は誰しも心にミッションを抱えているというのが僕の持論です。それを探す手掛かりになるのが、その人自身の「原体験」です。強烈な「原体験」がある人ほど、それがミッションに転じやすいですし、その「原体験」から行動しつづける熱量が生まれてきます。

奥田 本では「原体験」を見つけるための方法も紹介されていましたよね。

図1)「感情曲線」とその描き方
(『一生を賭ける仕事の見つけ方』49ページより)
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斎藤 それが「感情曲線」というツールです。自分の人生を振り返り、感情の起伏をグラフで表現します。この曲線の「谷」や「山」の部分が、自分の心が強く動かされた出来事で、たいていの場合、それが「原体験」になってミッションにつながっていきます。奥田さんは「IT業界の女帝」とも呼ばれる奥田さんにとっての「原体験」はどこにあるのでしょうか?それをやりつづける熱量の源も含めて、「感情曲線」を使ってぜひご紹介ください。

奥田 わかりました。じゃあ、時系列に順を追って紹介していきますね。

「自分が正しいと思うことをしよう」
――屋久島のウミガメから学んだこと

図2)奥田氏自筆の「感情曲線」
15~24歳の間に極端な「谷」が何度か訪れている
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奥田 私の最初の「原体験」は、3歳から5歳を過ごした屋久島(鹿児島県)での暮らしにあります。そこで、ウミガメの卵を当たり前のように食べて暮らしていました。(編集部注:昭和40年代の話で現在はその習慣はありません)

斎藤 屋久島でウミガメの卵を食べるって……。ご両親はどんなお仕事をされていたんですか?

奥田 父は鹿児島県の教員で、希望赴任先をいつも白紙で出す人でした。「誰も行かないところに自分が行く」という信念を持っていたようで、屋久島はじめ、週に2便しか船が来ない離島とか、県内の辺鄙なところばかりを転々としていました。

斎藤 率直な疑問ですが、ウミガメの卵って食べていいものなんでしょうか?

奥田 「ウミガメは保護対象の生物だから、卵を食べるなんてもってのほか」というのは本土の人が抱くイメージです。島の人は、ウミガメが産んだ卵のなかから3分の1をいただいて、妊婦さんや高齢者の方に渡してそこから収益を得られるようにしたり、中学校に孵化する場所をつくったりしていました。いわば、人と自然が持続可能な形で共存できるように、食料や環境教育の生きた教科書として使わせていただいたわけです。

 ところが、屋久島を離れて本土に移り小学校に通いはじめてその話をすると、野蛮だとか自然破壊だとか言われて、軽いイジメのような目に遭いました。

斎藤 それがどういう形で奥田さんの「原体験」になったんでしょうか?

奥田 たかだか小学生でずいぶんマセた話ですが、人が持ってる「常識」なんて、身の回りの環境や文化に大きく左右されるということを、身をもって実感しました。このときは振れ幅としては小さいですが、後々大人になって思い起こせば、島と本土のカルチャーショックが、「自分が正しいと思うことをしよう」という原点になっています