「Mac World」や「Windows World」、「Interop」や「Google Developer Day」など、これまで数々のビッグイベントを日本で開催し、「IT業界の女帝」との異名を持つ奥田浩美氏。2001年、IT分野のカンファレンスを企画・運営する「株式会社ウィズグループ」を立ち上げ、2013年には、ITと対話型ロボットにより地方の課題解決を目指す「株式会社たからのやま」を創設。地方に住むお年寄でもテクノロジーを身近に使えるように、IT業界の若き起業家や開発者らを巻き込んで、地方で「共創の場づくり」に取り組んでいる。奥田氏を絶えず挑戦へと駆り立てる「原体験」には何があるのか――。
ベンチャー支援のプロフェッショナル・斎藤祐馬氏が、著書『一生を賭ける仕事の見つけ方』で大好評のノウハウ「感情曲線」をもとに、奥田氏の「ネットワークづくり」のキモを明らかにする!

「大リーグ養成ギプス」が外れて……

斎藤 インドで大学院を卒業された後は、どんなお仕事に就かれたのでしょうか?

図1)奥田氏自筆の「感情曲線」。23~24歳の間の「谷」を越えた後、急速に好転していることがわかる <拡大画像を表示する>

奥田 帰国後は国際機関に入りたくて、東京に出て職を探しました。運がよかったのか、国際会議を企画・運営する会社とご縁があり、そこに就職することになりました。働きはじめると、インドでの留学経験が自分の成長につながっていたのをすぐに実感できました。インドでの苦労がウソのように、あらゆる仕事がスムーズに進み、社会人生活は順風満帆の船出でした。

斎藤 具体的にはどういうことでしょうか?

奥田 マンガ『巨人の星』に、「大リーグ養成ギプス」ってありますよね。インドにいる間は、それをつけていた状態だったんじゃないかと思うんです。主張の激しいインド人と、母語ではない英語を使って毎日タフなコミュニケーションを続けていたので、胆力や折衝力が知らないうちに練られていたのでしょう。「インドだと、ここでこういう反論が来るだろう」と身構えているところでも、日本だとすんなり話が通ることが多く、簡単に仕事が進んでいきます。いつの間にこんな力がついていたんだと我ながら驚きでした。

斎藤 苦しい時間がかけがえのないトレーニングになっていたんですね。

奥田 ところが、入社して半年が経ったころ、そんな私にも仕事で大きな試練が訪れます。億単位の予算がついた大きな国際会議のプロジェクトチームにスタッフとして関わることになり、その後間もなく、責任者だった先輩が激務と重大な責任のプレッシャーから体を壊してしまいました。そこで、急遽私が代打で責任者を命じられたのです。

斎藤 いきなりそんな大役を任されるなんてすごいですね。

奥田 いえ、完全に身に余る大役でした。経験したことがない業務の連続で、寝る間も惜しんで、というか、疲れ果てて寝ても夜中に何度も未完了タスクを思い出して目が覚めるというような有様でした。最初はそれをすべて自分でこなそうとしましたが、新人がどうがんばってもこなせる業務量ではありません。途中で発想を切り替えて、自分がやったことのない仕事は、社内でいちばん得意な先輩に聞いて回る作戦をとりました

斎藤 教えを請うことでネットワークを築いていく作戦ですね。

奥田 斎藤さんの本でも、ネットワークの重要性を説かれていますよね。私も自ら教えを請うことで先輩たちと人間関係を築き、いろいろ助けてもらえるようになりました。もちろん、ただ情報をほしいだけの「くれくれ君」では相手にされません。自分が相手に何を返せるのかを常に念頭に置いておく必要があります。私の場合は、教えていただいたことをもとにして、仕事をいい形に仕上げることで恩返しをしようと思っていました。結果、さまざまな人の多大な助けをいただいて、どうにか大役を務め上げることができました。このときの国際会議が、その後の私の仕事の方向性を決定づけることにもなりました。