リーマン・ショックがもたらした新たな出会い
――ネットワークは、高いミッションのもとに育まれる
斎藤 その後、リーマン・ショックでまた「谷」がありますが、このときは何があったのでしょうか?
奥田 イベント運営という仕事柄、リーマン・ショックを境に仕事が一切なくなりました。どうしたものかと途方に暮れかけましたが、仕事はないけど、幸いにして時間は山ほどあります。お金になる仕事がないなら、世の中のためになることをやろうと、IT業界の若手起業家やその卵たちを集めて情報交換会を開きはじめました。2000年にネットバブルが弾けて以来、ITで起業というと胡散臭い目で見られる空気が広がっていて、若い人がもっと気軽にチャレンジできるような場やエコシステムをつくりたいと考えたわけです。
斎藤 僕が奥田さんと出会ったのは2009年から2010年にかけてのころですから、まさにその取り組みに力を入れられていたころですね。
奥田 ひとまずはお金のことをさておいて場作りに励んでいたら、次第に経済状況が好転して、景気が回復したころには、人脈が以前の100倍ぐらいに広がっていました。そこから新しい仕事が生まれるようになり、ロボット技術や地方の課題に取り組む人たちと出会い、2013年に「株式会社たからのやま」を立ち上げて今に至るという感じです。
斎藤 あらためて「感情曲線」を見ると、プラスもマイナスも振れ幅が本当に大きいですよね。
奥田 斎藤さんの本にあるように、大きく振れたところでさまざまなことを学びました。そのひとつひとつが、今の私を形作る大切な「原体験」です。とくに、マイナスに振れている体験から学んだことは大きく、それが今も走りつづける原動力になっています。ウミガメの卵やインド留学から価値観の多様性に気づき、インドでの留学やITの先駆者たちとの出会いを通じて「社会や世界を変える」視点を学び、リーマン・ショックをきっかけに新たな人やテーマと出会い……という具合に、です。
斎藤 やはり、「感情曲線」の「谷」や「山」が「原体験」になっているのですね。今日はどうもありがとうございました!
今後も、さまざまな方に原体験とミッションについて伺っていきます。果たしてどのような「感情曲線」が描かれていくのでしょうか?ご期待ください!(構成:萱原正嗣)