「ジョブズやゲイツが見た未来を実現させたい」
がむしゃらに働いた20代と、訪れた転機

【左】奥田浩美(おくだ・ひろみ)
株式会社ウィズグループ代表取締役、株式会社たからのやま代表取締役。鹿児島生まれ。インド国立ボンベイ大学(現州立ムンバイ大学)大学院社会福祉課程修了。1991年にIT特化のカンファレンス事業を起業し、数多くのITプライベートショーの日本進出を支える。2001年に株式会社ウィズグループを設立。2008年よりスタートアップの育成支援に乗り出す。2013年には徳島県の過疎地に「株式会社たからのやま」を創業し、地域の社会課題に対しITで何が出来るかを検証する事業を開始。著書に、『会社を辞めないという選択』(日経BP社)、『ワクワクすることだけ、やればいい!』(PHP出版)など。
【右】斎藤祐馬(さいとう・ゆうま)
トーマツベンチャーサポート株式会社事業統括本部長。公認会計士。1983年生まれ。中学生のとき、脱サラして起業した父親が事業を軌道に乗せるのに苦労している姿を見て、ベンチャーの「参謀」を志す。2006年、監査法人トーマツ(現・有限責任監査法人トーマツ)入社。2010年、トーマツベンチャーサポート株式会社の再立ち上げに参画。現在は、「挑戦する人とともに未来をひらく」というビジョンのもと、国内外で奮闘する100名以上のメンバーとともに、ベンチャーだけではなく、大企業、海外企業、政府、自治体などとも協働し、自らのミッションを生きる日々を送っている。起業家の登竜門「モーニングピッチ」発起人でもある

斎藤 どういう国際会議だったのでしょう?

奥田 IT関連技術の国際標準規格を話しあう会議です。当時は1990年、インターネットが商用化される前の時代です。その時代に、ティム・バーナーズ=リーやスティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツなど、後のIT業界で世界的なビッグネームになる人たちが会議に参加していました。その後もITの分野で国際会議の運営を担当し、日本の最先端を走る人たちともつながりができました。みな、「ITは世界を変える」と、ITの力と可能性を信じている姿に魅了され、ITを日本中に広げることを一生の仕事にしたいと思うようになりました。

斎藤 インドの留学経験とつながるわけですね。

奥田 1991年、26歳のとき、最初に就職した会社を辞めて、ITに特化した国際会議の運営会社を共同経営者と一緒に立ち上げました。そのときにアメリカから日本に引っ張ってきたのが、「Interop」や「Mac World」、「Windows World」などのIT分野のカンファレンスです。創業から10年、事業は右肩上がりで伸び、それこそ狂ったように働いていました。

 次の転機が訪れるのは2000年です。創業した年に結婚もしていて、2000年に長女が産まれ、ほぼ20年ぶりに「家事・育児と仕事の両立」問題に直面しました。娘を育てていくには仕事の仕方を変える必要があると感じて、自分が働きやすい環境をつくるため、今度はすべて自己資本で会社を設立しました。それが、2001年に立ち上げた「株式会社ウィズグループ」です。

斎藤 「家事・育児と仕事の両立」は、2度目に直面した問題だったから、思い切った決断ができたのでしょうか?

奥田 そうかもしれません。高校生のころを思い出し、娘と向きあう時間を増やすためには、仕事のやり方を変えるしかないと決断しました。いつでもどこでも働けるように、仕事を設計しなおしました。「ノマドワーカー」が話題になったのは2010年代に入ってからですから、10年ぐらい時代の先を走っていた感覚があります