あまり知られていないが、兵庫県南端、本州と四国を結ぶ淡路島には、かつて鉄道があった。大正時代から昭和の半ばにかけて島の中南部を走り、島民や物資の輸送などで活躍した「淡路鉄道」だ。自家用車の普及などに押されて存続が難しくなり、1966(昭和41)年9月30日に運行を終えたが、現在でも、島内各地に遺構が残る。最後の運行から50年後の2016年10月2日、廃線跡をたどる旅に同行した。
22(大正11)年、洲本口(後の宇山駅)―市村駅間で開業した淡路鉄道は、3年後に洲本―福良駅間の全線(17駅、23.4キロ)が開通。島の南西部へと向かう鉄道で、洲本と福良、2つの港を結んでいた。
始発の洲本駅は、当時は鉄道、現在はバスを運行する淡路交通の本社(兵庫県洲本市)敷地内にあった。「ここからレールが伸びて、あそこの歩道部分を電車が走っていたのです」。案内する鉄道に詳しい男子高校生の説明を聴きながら、参加者らがカメラを構える。
洲本市立淡路文化史料館が主催した廃線跡を巡るバスツアーには、かつての利用者や鉄道ファンら21人が参加した。途中数カ所でバスを降り、歩いて遺構をたどる。洲本駅近くには、「洲本駅前給油所」と書かれた看板があり、納駅から長田駅の間には、幾つかの橋台が残っていた。掃守駅からおのころ島駅の間には、農地の中に、舗装された線路跡が伸びていた。
線路跡の途中にも橋台が残り、レールを渡したような跡を確認することができる。鉄道ファンらの議論が盛り上がる中、通勤で洲本―長田駅間を利用していたという70代の女性は「懐かしい。小さいころ、鉄橋の下で遊んだこともある。電車が通る時、ものすごい音がした」と目を細めた。
洲本駅を出発した電車は、7つ目の広田駅を出ると、急な坂道を上っていく。前述の女性は「坂がきついから、ゆっくりゆっくり走って。乗客はみんな『降りて押そか』と笑っていた」と振り返る。車両の両脇に座席があり、当時20代の女性が座っていると、途中の駅で思いを寄せる男性が乗ってきたなんていうエピソードまで披露してくれた。遺構を見ているうちに、懐かしい思い出が次々とよみがえってきたようだ。