日本経済新聞12月3日付け朝刊では「パソコン通信 人脈広がる」と題した記事がある。最大手のPC−VANには「おじさん広場」と呼ぶコーナー(Twitterでいうハッシュタグ)があって、メッセージをやりとりしている常連は約100人、そのネットワークは全国に広がっていて、オフ会を呼びかけたら50人が集まったと伝えている。この100人も50人も、「そんなに数多くの人間が!!!」という驚きで書かれているのである。

 桁が3つも4つも違うのが、いまどきのコミュニケーション。四半世紀が過ぎて、ネットワークが社会構造から人間関係、産業の広がりまで、まるで違うものに変えてしまっていることが、こんな記事からも分かる。

幼女連続誘拐殺人犯のせいで
忌み嫌われた「おたく」

 アニメやファッション、最近では伝統工芸や食まで概念が広がっているが、主に日本のポップカルチャー、サブカルチャーを海外に売り込む「クールジャパン戦略」が国家プロジェクトに組み込まれたのは2010年、菅直人政権のときだった。

 第二次安倍政権もクールジャパン戦略を受け継ぎ、官民ファンドの創設、担当大臣の任命など、さらに力が入っている。リオデジャネイロオリンピックでは、自らゲームキャラクターに扮するなど、クールジャパンはいまや日本の代名詞にもなっている。

 この戦略の基幹となる日本発のサブカルチャーを生み、育ててきたのは「おたく」であることに異論はなかろう。

 今でこそ、「おたく」という言葉にはネガティブな響きが少なくなった(決してゼロではない)が、この言葉が世に広まった当時のイメージは「殺人鬼を生んだ理解不能なマニア」である。なぜならば、そういうおたくの登場によって、「おたく」という言葉が浸透していったからである。

 1988年から89年にかけて東京近郊の郊外で相次いで発生した東京・埼玉幼女連続誘拐殺人事件。4人の女児が相次いで誘拐、殺害後に遺体が山林に放置されたり両親宅に送りつけられたりした。警察をからかうような「今田勇子」名の犯行声明文を送りつけた犯行の劇場性と、逮捕後に発覚したわいせつ行為や死体の損壊、その様子を繰り返しビデオで撮影したという異常性癖に世の中は震撼した。

 そして、89年7月に逮捕された犯人・宮崎勤(逮捕当時26歳)の自宅には5000本を超える膨大なビデオのコレクションが発見され、ロリコン・ホラーのマニアであり、引きこもりがちな生活を送っていたことが裏付けられる。

 同じような趣味・生活スタイルをもつ「おたく族」の呼び方が、マスメディアの報道に初めて登場し、殺人鬼のレッテル貼りに使われて一気に広まっていったのだ。

 当然、当時の「おたく」に対する語感は最悪である。

 しかしその後数十年を経て、「おたく」への評価は大きく上がった。アニメやアイドル、マンガが世界的にも注目され、おたくを自認する麻生太郎首相の登場には秋葉原が熱狂。自分の好きな事柄には努力を惜しまず、プロ並の知識を発揮する能力に期待する空気も生まれたことで、おたくの再評価が重なり、四半世紀を経て国家戦略に組み込まれるまでになったのである。

 ちなみに、宮崎勤・元死刑囚は2006年に死刑が確定、08年に東京拘置所で刑が執行されている。