渡辺あさ野も息をのんだ
アメリカの最先端縫製技術

 独占販売契約を締結したはいいが、驚いたことに、昭和28年12月から半年間、一定量の製品を引き取れという条項まで付いていた。契約書をよくよく読んでみると実は思いもよらない厳しい条件が付いていたというのは、今でも海外相手の契約でよくある話だ。

 だが契約を締結した甲斐あって、ようやく工場見学が許された。

「紙、鉛筆はもちろん、一切筆記具は持って入ってもらっては困る!」

 そう厳しく言われての見学だった。彼らがそう注文をつけたくなるのもわかるほど、日本とはかけ離れた先進技術がそこにあった。

 40坪ほどの地下工場にはリングレット刺繍(小さいリング状の刺繍)のできる最新ミシンや、ブラジャー周辺部のバイアステープ(布の端のほつれ止め)が一度に縫える機械などがズラリと設置され、ようやく自動の一本針ミシンができたばかりの日本からすれば夢のような工場であった。

 (渡辺が見たらどう言うだろうか……)

 工場見学をしている間も、幸一は渡辺あさ野に見せたくて見せたくて仕方がなかった。

 すぐにその機会はやって来る。

 後日、縫製に詳しい渡辺を連れて再度見学することができたのである。

 思った通り、渡辺は工場内に一歩足を踏み入れた瞬間から、好奇心一杯の少女のように目をきらきらさせはじめた。

「社長、どのミシンにもアタッチメントがついてますがな!」

 アタッチメントとは、押さえ金具や巻き金具といった縫製を容易にするためのミシンの補助的な器具の総称なのだが、驚きすぎて声が裏返ってしまっている。

 工程に応じた特殊用途のミシンもあり、夢の機能が実現していることに目を見張った。技術には絶対の自信がある彼女も、アメリカの先進的縫製工場を前にしてすっかり脱帽だったのである。

 相変わらずカメラはおろか筆記用具も持ち込めない見学だったが、記憶の新しいうちに見てきたものを書き留めておかねばならない。書き留めるだけでは足りないと思った彼女は、帰りの電車の中で鼻紙をとり出して、なにやらごそごそしはじめた。

 見てきたものの中で“これはすぐにでも使いたい!”と思ったものの形状を、鼻紙で再現していたのである。

 京都に戻ると、渡辺は早速大谷ミシンの大谷能基社長のところへ行き、

「アメリカさんの工場でこういうもの見てきましてん。それがまあなんとも言えんすぐれもんなんですわ。ちょっとおたくで作ってもらえません」

 と直談判したのである。

 浦賀沖に突如現われた黒船を見にいった幕末の志士のように、すっかり興奮している幸一たちであったが、黒船は一隻ではなかったのだ。

 日本ラバブル社と提携した直後、同じアメリカの下着メーカーであるエクスキュージットフォーム・ブラジャー社が、日本に駐在事務所を設けていたのである。

(つづく)

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