もはや「平成しぐさ」として定着か
少し前からネット上で、ある論争が巻き起こっている。
きっかけは、東京・田町などに店を構える「鳥一代」の店主が、『焼鳥屋からの切なるお願い』と題した記事をブログに投稿したこと。店主は、「ここ数年。大多数のお客様が、焼き鳥を串から外してシェアをして食べられています。焼き鳥として…凄く悲しい」とし、一口目を大事にするため頭の部分を大きめにする、串の真ん中より上の部分に塩を強めに振るといった、串に刺して調理する焼き鳥ならではのこだわりを紹介。「その一本の中にドラマがある! その焼き鳥が…テーブルにつくなり、バラバラに。これだったら切った肉をフライパンで炒めても同じです」と訴えた。
この投稿に対する反響は、店主の想像を超えるものだったようだ。Facebookのシェア数は3万2000を超え、ネットニュースのみならずワイドショーも巻き込んで論争が拡散した。それだけこの問題について、もやもやしていた人が多かったのだろう。
焼き鳥を串から外して食べるようになったのは、いつごろからなのだろうか。店主は、「ここ数年」としているが、筆者が大学生だった17年ほど前にはすでに、串から外す“マナー”が存在していたと記憶している。串から焼き鳥を外す先輩の所作を見て、「なるほど、そういう心遣いがあるのか」と感心したものだった。以来、焼き鳥が提供されたらまずは串から外すことが、筆者の中でなんとなくの習慣になっていた。「串から外して食べなければ、不快な思いをする人がいるのではないか」と。
いつから定着したのかは不明だが、焼き鳥を串から外したことがない、もしくは外している人を見たことがない人はいないだろう。誰が始めたかわからない。しかし、確かに存在するその暗黙の“マナー”は、もはや「平成しぐさ」と呼べるものだ。
この論争についての筆者の立場は最後に語るとして、まずは巷の声から紹介したい。