なぜベビーカーだけが
批判の対象となるのか?

 そもそも、人混みの中でのベビーカーを迷惑だと感じる感性も、個人的にはよく理解できない。正直に言うと、僕は子どもがあまり好きではない。自分の娘以外、子どもを可愛いと思ったことは一度もないが、それでもベビーカーを迷惑だと感じたこともない。まあ、このあたりは個人の感性ではあるが、ベビーカー批判派の中には、混雑する電車の中でのベビーカーを迷惑だと言う人も多い。電車はレストランなどと違って、明らかに公共の交通機関だが、批判する人の中には、電車のドア周辺にベビーカーを置くことも批判している人もいる。

 しかし、これもまったく非論理的だ。誰がどう見ても、電車の中で余裕があるのはドアの周辺のスペースで、そこにベビーカーを止めるのは理にかなっている。むしろ、シートの前の通路部分にベビーカーを止められるほうが乗り降りする人にとってはよっぽど迷惑だし、ベビーカーが迷惑だと言うのなら、大きなスーツケースをいくつも携えた外国人観光客のグループや、いまでは見なくなったが大きな野菜籠を担いだ農家のおばあさんも迷惑なのだろうか。混雑した電車に大きな荷物を持ち込むこと自体が迷惑だというなら、それはそれで(是非はともかくとして)ロジックとしては成立するが、ベビーカーだけを迷惑だとするのはまったく非論理的だ。

 ベビーカー批判派には非現実的な主張も見られる。登山を趣味にしているとおぼしき、ある男性は、「たかが10キロ程度の赤ちゃんを抱きかかえられないようでは情けない。20キロの装備を背負って、20キロの山道を走破できるくらいの体力が必要だ。俺が鍛えてやる」という趣旨の発言をしているが、これはつまり、トレーニングをしてアスリート並みの体力を得なければ、女性は子どもを産み育てる資格はないと言っていることに等しい。本人は冗談のつもりでの発言かもしれないが、男性からのこのような発言が、ますます子どもを産み育てることに対して女性をネガティブにしてしまうことは、理解しておいたほうがよい。

権利の乱用が生んだ悲劇

 もちろん、ベビーカー利用者にも問題がある場合もある。そもそも、今回の「ベビーカー自粛」もベビーカーの人たちのマナーの悪さ、というか「権利の乱用」が原因だ。少し長くなるが、今回のベビーカー論争の事の経緯が分かる記事を引用する。

 以下、ライブドアニュースより引用


 寺の住職によれば、2年前まではベビーカー、車椅子での参拝を優先させていて、専用通路を作り、係員を配置し安全に努めるという布陣を取っていた。ところが思わぬトラブルが起こる。ベビーカー1台にファミリーが5人、10人と付いてきて専用通路を通り参拝し始めたのだ。混んでいる時にはお参りするまで1時間待たなければならないため、それを見た参拝客が腹を立て「なんだあいつらは!!」と寺の担当者と小競り合いになった。

 また、ベビーカーがあれば優遇される寺ということが知れ渡り、小学5年生くらいの子供をベビーカーに乗せて現れる親が相次ぐことになった。親は優先通路に入るとベビーカーをたたみ、降りた子供は敷地内を駆け回った。そこで寺は優先通路を通れるのは押している1人だけ、という制限を設けた。ところが、ファミリーは2手に分かれて参拝することになり、先に参拝を終えたベビーカー組の中には境内近くで合流のため待機する、ということが起こった。