地元でも忘れられかけていた
日本のハム・ソーセージの父

プロジェクトのメンバー他

 横芝光町商工会の伊藤一成さんは町史を読んでいた時、大木市蔵という人物を知った。

「すごい人だな、と。私はこの町の人間じゃなかったので、知らなかったんですけど」

 調べるうちに大木が私財を投げ打ってまで、日本にハム、ソーセージを広めた人物だとわかった。この偉人を町としてもう少し掘り下げるべきなのではないか。伊藤さんはそう考えたが、地域の人は当初、興味を示さなかったという。

 ソーセージという食べ物は日本にどのように普及したのか。身近な食べ物ゆえに知られていないように、大木市蔵という人物もまた身近ゆえに遠い存在だった。

 そんな折「フードショップいちはら」の二代目、市原昌幸さんは父親が代表を務める(株)いちはらの加工部が不採算により閉鎖することを聞いた。

「不採算だったのは事実ですし、私も父親を止められませんでした。ただ、自分は精肉を卸すだけではない加工部を将来性のある事業だと考えていました」

 市原さんは商工会青年部の副部長(現、部長)の土屋歩さんに相談を持ちかけた。腕のいい職人もいるし、なんとか自分が引き継いでいけないだろうか、と。是非、協力しよう、という話になり、そのことを知った伊藤さんは「それなら大木市蔵のソーセージを復刻させるのはどうか」と提案した。

店内で大木式のハム・ソーセージ類を販売

「それが2014年の夏、7月のことですね。自分たちの世代は大木さんのことをこのプロジェクトで知ったって感じでした」

 市原さんは当時を振り返る。横芝光町には100年を越える歴史を持つ全国でも珍しい町営の食肉センターがあり、新鮮な肉が手に入る。日本初のソーセージの製法技術を復活させるにはぴったりの場所だった。さらには町内に住む、大木市蔵の孫である大木公一さんからも協力、助言を仰ぐことができた。