なぜ常識を疑うことができないのか?

ではなぜ、我々は常識を疑うことをせず、昔からのやり方を安易に踏襲してしまうのでしょうか?

理由はいろいろありますが、突き詰めれば、「その方が楽だから」ということになるのではないでしょうか。

常識や昔からの手順に従って物事をやっていれば、確かにブレークスルーはないかもしれませんが、逆に大失敗を犯す可能性も減ります。人間は基本的にはリスクを嫌う動物ですし、そもそも面倒なことを避け、易きに流れる性向を持ちますから、結局はいつものやり方や、多くの人が推奨するやり方に頼ってしまうのです。

たとえば、大企業向けで特に顕著なのですが、学生が就職活動をする際には、ほとんどの人間が黒もしくは紺のスーツ、しかも似たような髪型で挑みます。もっと個性的なスーツを着たりしてもいいはずなのですが、下手に常識にチャレンジしてリスクをとるよりも、やはり無難を選んでしまいます。

上記とも絡みますが、言い訳をしやすいというメリットもあります。特に組織人の場合、常識にチャレンジして失敗をしたら、結果責任を問われますし、そもそも何かをする前に他人に対して説明をするという責任も生じてしまいます。

ところが、たとえばその会社の常識とも言えるマニュアルの手順通りにやって失敗したのであれば、「マニュアルに書いてある通りにやったんですけどねぇ」などと言い訳しやすくなるのです。

では、こうした構造的な問題がある中で、どうすれば我々は常識を疑うことにチャレンジできるようになるのでしょうか?

まずは、先に挙げたような思考法や、そこから生まれた成功例を学ぶことです。それさえ知らないとしたら、人間は常識の枠から出ることはできません。

第二に、組織に影響力の大きい人間、たとえばトップや経営陣が、自ら常識を疑う行動をとってみたり、「失敗を許容する文化」の醸成に努めることです。もちろん、単なる凡ミスなど、あらゆる失敗を認めろというわけではなく、ある程度可能性のあるチャレンジならば、その結果だけを必要以上に問題視しないということです。

第三に、個々人が自立(自律)することです。いまはVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代です。こうした時代に過去の常識を踏襲することは、帰ってリスクが高い可能性があります。他人任せにするのではなく、一人ひとりがしっかりと自分の頭で考え、「本来あるべき姿」を描く必要があるのです。

難しいことかもしれませんが、これが実現出来た組織や個人こそが、結果としてより良い果実を手に入れられると銘記したいものです。