「子どもは早く寝るべきだ」
 「タバコは喫煙所で吸うべきだ」
 「仕事は早く終わらせるべきだ」

 皆さんにも多かれ少なかれ「こうあるべきだ」というポリシーや信念、拘りのようなものがあるのではないでしょうか。それは、決して間違ったものはなく、それぞれが自由に持つことができるものです。ただ、この「べき」の押し付けは、決して幸せを呼び込むことはなく、むしろ怒りの発生原因ともなりえます。例えばこうです。

 日本の都市部では、エスカレーターの片側を空ける習慣があります。東京近郊では右を空け、大阪周辺では左を空けているようです。その一方で、たいていのエスカレーターには「手すりにつかまってください」「エスカレーター内では歩かないでください」といった注意書きがあります。こうなると、「べき」に差が出てきます。

 「ここは東京だから右を空けるべきだ」
 「ここは大阪だから左にいたら歩くべきだ」
 「エスカレーターの歩行は危険だから立ち止まって乗るべきだ」

 これ、どれが正解というのはないですよね?にもかかわらず、

 「おい、ここは東京なんだから右側にいたら歩けよ!」
 「ちょっと、大阪は左側通行って知らないの?止まるなら反対側に立ってよ!」
 「エスカレーターが急停止したら危ないだろ!歩くなよ!」

 といったトラブルが起きたりします。

 ちなみに私は、一週間だけ東京で右側に立つ実験をしてみました。それはそれは大変な学びがありました。それほど小柄でもなく、長髪&サングラスというサラリーマン的にはちょいと異質な風貌なのに、後ろで露骨に恫喝する声を上げたり、無言でぶつかってくる人がいたりしました。おそらく「正義は自分にある」という気持ちが、過激な行動を後押ししてたのではないかなと思います。

許容する・しないの境界線には「後悔」が乗っている

 この「べき」とどう付き合っていくのか。それが暗号のふたつ目、「三重丸」に隠されています。

 この三重丸には、それぞれに意味があります。まず一番内側にあるのが「自分と同じ」という丸。二番目が「少し違うが許容範囲」という丸。そして一番外側が「自分と違う・許容できない」という丸です。

出典:一般社団法人日本アンガーマネジメント協会

 1の「自分と同じ」というのは理解が簡単ですね。自分と同じ価値観、考え方、嗜好などが共有できている状態です。