発売から3ヵ月で約7万部のベストセラーとなっている『自分の時間を取り戻そう』。「生産性」をテーマとした同書には、個人の働き方の提言に加えてもう1つ、「社会の高生産性シフト」という社会派ブロガーの著者ならではの興味深い分析があります。その解説部分を紹介する最後の回です。
同床異夢のベーシックインカム論
言葉にしたのはこの本が最初かもしれませんが、社会の高生産性シフトが急速に進むと気づいている人は少なくありません。そして最近、そういう人の多くが、ベーシックインカム制度の必要性を語り始めています。このため同制度を推進すべしと唱える人の中には、目指す場所がまったく異なる、ふたつのグループが形成され始めているのです。
ベーシックインカムとは、保有資産や所得の高低にかかわらず、全国民に最低限の生活が可能になる金額の現金を、毎月配布する制度です。そんなことは不可能だと思われるかもしれませんが、この制度が導入されれば年金も失業保険も生活保護も不要となり、そのための予算、ならびに、これらの制度を維持するために働いている人の人件費もすべて不要になる(たとえば全国にある年金事務所も役所の生活保護課もすべて不要になる)ので、財源はなんとか確保できると試算する人もいます。
実際に2016年には、スイスで大人ひとりに月27万円(=2500スイスフラン。子供には625スイスフランで約6万5000円)を現金支給するベーシックインカム制度の導入の是非を問う国民投票が行なわれました。結果は否決されましたが、現実の社会においてもすでに検討が始まっています。
早くからこの制度に賛成している人の中には、福祉充実派の人たちがたくさんいます。生活保護はプライドがあって受け取りたくないと考える人もいるし、審査があるため必要性が高いのに拒否される人もいます。でもベーシックインカムなら全員がもらえるので気も楽だし、審査もなく全員に行き渡るからです。
これに対して最近出てきているのは、福祉制度としてではなく、生産性の低い人を労働市場から排除するためのベーシックインカム論です。――どういうことかわかりますか?
前提にあるのは、社会の生産性がめちゃくちゃに上がれば、ごく一部の人が働くだけで全員が食べていける社会になるという話です。だから大半の人は働かなくても国からベーシックインカムがもらえるようになると。
そんな時代は来るはずがないと思いますか?でも、そうでもないのです。日本では江戸時代、人口の9割=数千万人が農民でした。それなのにしょっちゅう飢饉が起こり、地方では餓死する人もいるほどでした。ところが今や日本で農業に従事しているのは、200万人ほどにすぎません。
日本は食料自給率が低いと言われますが、主食の米は今も100%自給です(むしろ余り気味で困っています)。200万人の中には野菜や果物だけを作る農家も含まれているので、実際にはもっと少ない人数で日本人全員分の米は作られています。
このように農業の生産性は、江戸時代に比べて何十倍も高くなったわけですが、今後もまだまだその生産性は上がります。ロボットが種をまき、画像で田畑の様子を確認した人工知能が農薬散布の時期と量を決めてドローンに指示を出すようになるまで、そんなに長くはかからないでしょう。
そうして米作りの生産性が今の10倍になれば、200万人どころかたった20万人で日本人全員が食べても余るほどの米が作れるようになるのです。ちなみに20万人というのは、私のツイッターのフォロワー数レベルの人数です。
農水省は農家の人数を維持したいのでしょうが、消費者としては農業従事者の人数が減っても、同じ量の作物がとれるなら問題ありません。農家は人手不足だと言われていますが、人手不足なのは生産性の低い農法のままだからです。
日本人全員分の米が、すでにごくわずかな人が働くだけで全量まかなえるところまで来ている。これと同じことが他の食物や、工業製品、そしてサービス業でも起これば、ごく少ない人数が働くだけで冷蔵庫も自動車も製造でき、レストランもコンビニも無人営業となって小売店で働く人も不要になり、アマゾンで買った商品が自動運転のトラックで運ばれてきて、最後はロボットが家の前まで届けてくれるようになる……そうすれば誰も働かなくてすむ世界が本当にやってきます。
もちろん働きたい人は働けばいいし、そういったシステムを作るという仕事は残ります。つまり、社会を高生産性化させていくしくみに関わる人だけが働き、それ以外の人の仕事は消えていくのです。
「働かないでほしい」と望まれる人たち
もうひとつ、情け容赦のない話を書いておきましょう。実は今、働いている人の中には、その仕事の価値がゼロ以上の人と、マイナスの人がいます。
たとえば生産性の低い産業を守るために余計な規制を作っているような人――こういう人は働かないでいてくれたほうが、社会全体に生み出される価値が大きくなります。人気企業家を微罪(見せしめ?)で逮捕、起訴するような警察や検察官、粉飾決算をしてまで将来性も競争力もないビジネスに有能な技術者を投入し続ける経営者や、生産性を高める新技術の導入に全力を挙げて反対する既得権益者たち。彼らも、社会に及ぼすその価値はマイナスです。
だったらそういう人には、今と同じだけの給与を払うので、働くのは止めてもらう――そうするほうが社会全体としてはトクだということになります(図3)。
ベーシックインカム制度を導入したとき、そういう(働くことで社会にマイナスの価値を出している)人の一部でも「働かなくても金がもらえるならオレは働かない!」と考えてくれるなら、社会全体としてはそのほうがトクになります。つまり価値を出していない人は今後、「給与分の金は払うから働かないでくれよ」と頼まれる時代がくるのです。
資本主義は弱肉強食だと言われますが、現代社会における強者は、弱者の肉を食べたいと思っているわけではありません。彼らは単にとことんまで生産性を上げたいだけです。でも世の中には新技術や新制度が嫌いで、すぐに反対運動をする人たちがいます。自分の分野で生産性が上がれば、生産性の低い自分の働く場所がなくなってしまうと不安にかられるからでしょう。
高生産性社会を志向する人がベーシックインカム制度に賛成するのは、それが福祉制度として優れているからではなく、そうした生産性向上への反対論者に邪魔をされたくないからです。だから「生活費は渡すから遊んでいてくれ。仕事をすることで、人の邪魔をしないでくれ」と伝えられるベーシックインカム制度を歓迎しているのです。
身も蓋もない話を書いてしまいましたが、社会が高生産性シフトを起こすというのは、極端に言えばこういうことです。生産性の低い人はどこかの段階で「あなたは働かなくていいです。あっ、もちろん生活費はお渡しします」と言われる時代がやってきてしまう。
そう言われたくなければ、やることはひとつです。とにかく生産性を上げるしかありません。働かなくても給与(ベーシックインカム)がもらえれば幸せだという人もいるでしょうが、一方で、「金は払うから働かないでくれ」などと言われたら、嬉しいとは思えない人もたくさんいるはずです。なにより人生が長すぎて困るでしょう。
大半の人が働かなくてもいいくらい生産性の高い社会が実現するかもしれない今、私たちにはなにが求められるのか?それが『自分の時間を取り戻そう』のテーマなのです。