歴史から学ぶ経済のしくみ! 仕事に効く「教養としての世界史」

増税、TPP、円高、デフレ、バブル、国債、恐慌etc

歴史の流れを知ることで、
「なぜ」「どうして」がスッキリわかる!

『経済は世界史から学べ!』の著者、茂木誠氏に語ってもらいます。

【前回の記事】
・銀行はもともと、「銀の預かり所」だった。基軸通貨の世界史(1)

・米ドルは、いかにして世界を制したのか?基軸通貨の世界史(2)

第二次世界大戦後、ドルの独り勝ちに。

 アメリカは金とドルの等価交換を復活し、金(Gold)=ドルを機軸通貨とするブレトン・ウッズ体制を構築しました。各国通貨は固定相場でドル=金(Gold)と交換できるようになったのです。

 首都ワシントンに置かれた2つの国際金融機関―世界銀行とIMF(国際通貨基金)がこの体制を支えるクルマの両輪となりました。各国のインフラ事業に投資を行う世界銀行に対し、財政危機に陥った国にドルの緊急融資をするのがIMFです。

 どの国にいくら投融資するかを決定する会議では、最大の出資国であるアメリカの意向が尊重されます。従属国には手厚く施し、反抗する国には一切援助はしません。アメリカの世界支配に抵抗を続けたソ連やキューバや北朝鮮がいくら困窮しても、世銀やIMFが手を差し伸べることはなかったのです。

 70年続いたドル機軸通貨体制ですが、途中で大きな激震がありました。ドル危機です。

 アメリカに危機が! しかし……

アメリカが史上初めての敗戦をむかえたベトナム戦争の軍事費が財政赤字を生み、敗戦国の日本・西ドイツが奇跡の経済復興を果たし、アメリカ市場に輸出攻勢をかけ始めた結果、アメリカは貿易も赤字に転じたのです。

 ニューヨークの金(Gold)が、東京やフランクフルトに流出していくのを見て、ニクソン大統領は決断しました(1971年)。

「金とドルの交換を停止する。金の流出を阻止する」

 金との交換を保証されなくなったドルの価値は暴落し、1ドル360円の固定相場制は、日々刻々為替レートが変わる変動相場制へと移行しました。紆余曲折はあれども、1ドル100円くらいが現在の相場ですから、ドルの価値はこの半世紀で3分の1以下に下がったことになります。

名を捨てて、実を取ったニクソン

 ドルの下落はアメリカの威信の低下ですが、ドル安はアメリカ製品を割安にするのでアメリカの輸出産業には好都合です。名を捨てて実を取ったのがニクソンの決断でした。80年代、ソ連との大軍拡競争をやったレーガン大統領も同じことを考え、主要5ヵ国(米・日・西独・英・仏)の中央銀行が一斉にドルを売ることでドル安に誘導しました(プラザ合意)。日本はこのあと円高不況に苦しむことになります。

 ドルの価値が不安定にあっても、ドルに代わる基軸通貨はまだ現れません。いまだに世界の貿易決済の80%以上がドルで行われているのです。アメリカは「世界の警察」を続け、その膨大な財政赤字はアメリカ国債として友好国が引き受け、穴埋めをしてきました。最大の米国債引き受け国は日本で、次は中国です。

 通貨の価値が、金と交換することで保たれていたのが金本位制でした。これをやめてしまったニクソン・ショック以後のドルの価値は、いったい何を担保に保たれてきたのか?

 超大国アメリカの軍事力です。アメリカの地位を脅かす国が現れず、友好国(従属国)が米国債をせっせと買い続ける限り、米ドルの優位は揺らぎません。

 そのアメリカが「世界の警察をやめる」と言いだしました。