日本にとって、TPPによる貿易自由化は、避けては通れない問題です。しかし歴史に目を向けると、「貿易の自由化→長期のデフレ不況→国家崩壊」という運命を辿った国があります。何が問題だったのでしょうか?
「貿易の自由化」が国を滅ぼした!
いったいなぜ?
2000年前から、中華帝国は周辺諸国の王たちを臣下とみなし、貢ぎ物を献上させてきました。周辺諸国と比べ、中華帝国のパワーがあまりにも巨大だったからです。
イギリス東インド会社が、お茶や陶磁器を求めて広東省の港・広州に来航したとき、「ははぁ、イギリス人まで朝貢に来たのか」と清朝政府は勘違いしたのです。
朝貢は儀式ですので、ややこしいしきたりがあります。船の数や入港回数は制限され、朝貢の品物もすべてチェックされます。広州には、清朝政府から独占権を与えられた公行(こうこう)という商人組合があり、イギリス商人は彼らとだけ取引をすることを許されました。イギリス商品は安値で買いたたかれ、利益が上がりません。
しかし中国は巨大です。末端にまで中央政府の目は届かず、地方政府の官僚に汚職がはびこっていたのは今と同じです。イギリス商人は広州の貿易監督官を買収し、密貿易を開始します。一番よく売れた商品は、清朝では禁制品だったアヘンでした。
これを問題視した清朝政府は、皇帝の特命により林則徐(りんそくじょ)を特別捜査官として広州に派遣します。林則徐は汚職官僚を摘発し、イギリス商館の倉庫に保管してあったアヘンを没収して処分します。
イギリスの外相パーマストンは、自由貿易を推進する自由党の政治家です。自由党は、輸出産業を支持母体とし、徹底的な経済自由化政策を推進していました。
自由貿易論者のパーマストンから見れば、中華帝国の朝貢貿易は保護貿易主義の権化です。彼は、林則徐によるアヘン没収(イギリス商人の財産権の侵害)を口実にイギリス海軍を出兵させ、清朝に自由貿易を認めさせるべきだ、と主張します。イギリス議会は9票差で出兵を決議し、アヘン戦争が始まりました(1840年)。