Photo by Hiroki Kondo/REAL

「お前をハンコ屋に育てた覚えはない!」

 父の営む飲食店で働く傍ら、ハンコのインターネット通販を始めていた1995年頃、藤田優は父によく、そう怒鳴られた。

 そんな父との確執のすえに起業したハンコのインターネット通販会社、ハンコヤドットコムは、今では日本オンラインショッピング大賞「最優秀大規模サイト賞」を受賞するまでに成長した。

 父は脱サラして喫茶店やバーなどの飲食店数店を経営していたため、藤田は高校生の頃から日常的に父の店を手伝っていた。大学卒業後もそのまま就職し、28歳の頃には各店の実務を他の従業員やアルバイトに任せ、いわば“統括店長”のような役割を担っていた。当時は、父のアイディアであるショットバーでありながら日本食を振る舞う「バー軽々」という業態がヒットし、忙しい毎日を送っていた。

 ところが「バー軽々」は藤田を夢中にさせる存在ではなかった。ちょうど「ウィンドウズ95」が発売になりパソコンとインターネットがいっせいに浸透し始めていた頃だったからだ。

 生来の“凝り性”で、以前からワープロ専用機を駆使して飲食店のポップやメニューを作っていた藤田である。「インターネットがあればワープロよりももっといろいろなことができるはずだ」と思うのは当然だった。

「米国ではすでにインターネットで物を売る時代に入っていた。日本でも絶対に米国のような時代が来ると思っていた」

店で酒を作りつつ
バーカウンターの下でインターネットと格闘

 父の会社の事務所で店のポップやメニューを作りながら、藤田はインターネットに没頭した。

 独学でプログラミングを習得し、まずは「バー軽々」のホームページを作った。一方で、インターネット通販も試してみたくなり、ハンコの卸売業を営む友人に頼み、「バー軽々」のホームページの隅にハンコの写真を掲載、メールでの注文を待った。

 ところが、ハンコはまったく売れなかった。注文は2~3ヵ月に1本だった。当時はインターネット黎明期、ネット通販はまだ一般的ではなかった。ただ藤田にまったく危機感はなかった。ハンコはオーダーメードであり、在庫を大量に持つものではない。なにより、飲食業という“本業”があり、焦る理由はなかったのだ。

 しかし、父にとってはおもしろくない。本業をそこそこにパソコンにかじりつく藤田を「給料泥棒」と罵ったこともあった。

 それでも藤田はインターネット通販の可能性を探り続けた。「事務所でパソコンを触ると父に見つかるので、バーカウンターの下にパソコンを置いてお酒を作りながら作業した」。