そんなスベり知らずの著者だが、研究の合間には公園でベロンベロンに酔っぱらったあげく、入口のチェーンに足を引っ掛け、空中領域で大スベりする。

 突然の浮遊感の中、川向うで祖母が手招きし、頭にランプを載せて走り去る白馬が視界の端をよぎる。ほほう、これが走馬燈か。(中略)すっかり酔いが醒めた左脳が、流血するなら献血にでも行くべきだったと右脳に語りかけ、私のアゴは10針の縫合という勲章をいただいた。ついでにおばあちゃんが存命だったことも思い出した。

 国際会議などに出席することも多いというが、むろん英会話は大の苦手だ。

 世の中には優秀な研究者がたくさんいる。バンバン論文を書き、英語でジョークを交わしながら、ブロンド淑女とハグをする。そんな先輩の姿を見たら学生はどう思うだろう。ダメだ、自分はああはなれないと研究生活を断念し、鳥学の世界から離れてしまうはずだ。若手が育たなければこの分野は廃れてしまう。

問題の本質についての普及を
一歩進める時期に来ている

 だが、外来生物問題や生態系保全の問題を語るときだけは絶対に茶化さない。これも印象的な一面だ。

 外来生物問題がまだ社会に浸透していなかった時代には、勧善懲悪を喧伝することも必要だった。しかし、社会的に議論が成熟し問題が十分に認識されてきた現代において、善悪二元論的図式を強調するのは一歩間違うと外来種容認につながる諸刃の剣だ。認識の高度化に合わせ、問題の本質についての普及を一歩進める時期に来ていると言えよう。

 この他にも、東京都を代表する「都民の鳥」はユリカモメでなくメグロであるべきとか、最近ウグイスと仲が悪いとか、カタツムリは鳥に乗って移動分散できるとか、おそらく一生披露する機会もないと思われる知識ばかりが大空のように脳内を駆け巡っていく。

 そして最も考えさせられるのが、最終章で語られる自身のスタンスと天職について。

 舌先三寸と八方美人を駆使して、私は受け身の達人になることに決めた。新たな仕事を引き受ければ、それだけ経験値が上がる。経験値が上がればまた別の依頼が舞い込んでくる。世の中は積極性至上主義がまかり通り「将来の夢」を描けない小学生は肩身の狭い思いをするが、受動性に後ろめたさを感じる必要は無い。これを処世術にうまく生きていくのも一つの見識である。

 受け身の状態で流されるままに到達した場所が、もし心地良いと思えたなら、それが天職なのだという。受け身であること、それ自体を最高のエンターテイメントとして捉えているのだ。しかし著者はまだ、気付いていないのかもしれない。鳥類学者であることだけでなく、文筆家であることもまた、著者にとっての天職だったかもしれないことを。

 2017年のHONZが自信を持ってレコメンドする、この1冊。多くの人にとって、今年最高の読書体験になることは間違いないだろう。全力で脱力し、されるがままに読み進めることを、おススメしたい。

(HONZ  内藤順)