杞憂だった。門前払いされることも多々あったものの、地酒通のあいだで知られる酒屋は「獺祭」をひとくち試飲するなり、すぐに置いてくれた。「ものすごい山奥から来る」ということが話題になり、桜井が造りの話をすることも好意的に捉えられた。桜井が蔵に入り、自らが関与しているからこそできることだった。

◆失敗を乗りこえて
◇涙をのんだオッターフェスト

 桜井はさらなる挑戦をしたくなった。蔵元を継いで10年目のことである。大吟醸をベースに旭酒造の酒は好調に売れていたが、蔵が生きのこるためにはもうひとつ支えがほしい。

 そこで桜井が目をつけたのが地ビール造りだ。通常、夏のあいだは日本酒を造らないため、社員を通年雇用するのはむずかしい。しかし、夏のあいだに地ビールをつくるようにすれば、通年雇用できるようになる。ちょうど地ビールブームが来ていたこともあり、桜井は地ビール造りに着手した。

 問題は、国税局からなかなかビール造りの許可が下りなかったことである。レストラン併設型であれば免許を出してもいいと伝えられた桜井は、コンサルタントの薦めにしたがい、岩国きっての名所である錦帯橋の近くに「大道芸の館」という施設を開いた。そして「オッターフェスト(=獺祭)ビール」という地ビールを販売した。

 だが残念なことに、結果は惨敗だった。3ヵ月での撤退を強いられたのである。もともと日本酒だけで勝負していた男が、ビールだけで勝負する自信がなく、周囲からの圧力もあって、余計なものを付加価値にしてしまった。これでは失敗するのも当然であった。

 とはいえ、早期の撤退を決めた桜井の判断自体は正しかった。3ヵ月で撤退したことで、被害を最小限に食い止められた。また、雇ったコンサルタントに対しても、民事で争い勝訴した。それでも、多くの借金が残った。

◇ねじ伏せるビール、曖昧に付き合う日本酒

 この失敗を通じて、桜井はビールと日本酒の本質的な違いに気がついた。そしてその気づきが、日本酒をさらに深化させていった。

 日本酒が麹で糖化するように、ビールは麦を麦芽の力で糖化する。そしていったん煮沸して糖化酵素を殺し、無菌状態にして酵母を植えつけて発酵させる。だから非常に安定性が高い一方で、アルコール度数は出ない。

「ビールというのは、ある意味で自然をねじ伏せていると言えます。ワインは自然のままであり、日本酒は非常に曖昧に中途半端に自然と付き合います。ビールは安定してできる。どこが造っても技術的にはそんなに差が出てこないんです」と語る桜井は、ビール造りを通して、日本酒造りというものがいかにむずかしく、すばらしいものであるかを再発見した。

 桜井はビール事業を諦め、日本酒造りに注力することを決意した。