だから、東芝が最初にフラッシュメモリーのデジカメを作ったんです。でも、最初は150万円もしたので、結局売れずに2年で撤退した。その後に、フィルムがなくなることに危機感を持ったカメラメーカーやフィルムメーカーが開発に成功しました。でも、東芝はうまく商売に結び付けられなかったんです。

――東芝は1992年にサムスン電子とNAND型フラッシュメモリーの共同開発に踏み切って、技術を供与してしまいます。

 これに私は関わっていませんが、経営判断なのでとやかくは言えないですね。でも当時の東芝にはフラッシュメモリーが将来どうなるかとわかっている人がいなかったけど、サムスンにはいたということでしょうね。サムスンに技術を売らなければ、東芝は先にマーケットを独占できたかもしれない。将来の利益の種を売ってしまって、なんだかもったいない気がします。

――1994年に東芝をお辞めになって、東北大学に移ることになりました。

 フラッシュメモリーの事業化にめどをつけて研究所に戻ることになって昇格しました。でも、管理職ということで研究費も部下もいないポジション。人事異動の1つとはいえ、これはきつかった。だから研究を続けるために、お誘いのあった東北大学に移ったんです。でも給料が2分の1になっちゃった。

 結果を出した人を活用せずに、仕事をさせないような人事ローテーションって東芝のサラリーマン体質というものですかね。もともと僕は、自分が信じたことばかりやって、上司の言うことは聞かない質だったので、辞めた時に会社は喜んでいたよ(笑)。これ本当です。研究を続けさせてくれたなら東芝に残りたかった。大学の研究環境は良いとは言えなかったけど、企業からお金をもらえて自分の研究を続けられたのでハッピーです。

――その後、東芝に対して特許訴訟を起こしていますね。2006年に和解しました。

 あれは単に東芝に技術者を評価してもらいたかったからなんです。東芝も一言「ありがとう」と言ってくれれば、あんな訴訟は起こしていないんだけど。東芝はフラッシュメモリーで潤ってきたんだから一言「ありがとう」って言ってくれればよかったのに、いまだにそんな考えはないよね。

――東芝はフラッシュメモリー事業を売却します。

 売却すれば東芝のものではなくなりますが、会社の都合で売るんですから、仕方ないですね。でも、フラッシュメモリーは東芝が製品化したという歴史は残ります。

 その中で、僕はフラッシュメモリーの事業を立ち上げて辞めたんです。その後に東芝はDRAMから撤退して、フラッシュに絞って利益を出したという歴史。携帯電話ができたのは、そのフラッシュがあったからという歴史。