1980年代から2004年まで東芝の半導体部門に在籍した藤井美英氏は、DRAMからNAND型フラッシュメモリーへ転換を当事者として経験した一人だ。“強いNANDフラッシュメモリー”が誕生するまでのエピソードや、その事業が売却されるに至った現状について胸の内を聞いた。
――東芝のNAND事業はなぜ成功したんですか。
僕はいつも「成功の偶然、失敗の必然」と言っているんですが、成功は意外と偶然もある。人と人との個人的な関係に助けられたとか、トップのサポートもありました。
想定外のことはいろいろです。デジカメが年1億5000万台の市場になると思わなかったし、カメラの高性能化も読めなかった。最も想定外だったのは、スマートフォンで、NANDにとっては「盆と暮れと正月が一緒にきた」感じでした。
インターネットの進歩とNANDフラッシュメモリーの生産のコスト削減が、結果的にすべて同じタイミングで進んだという幸運に助けられました。
――フラッシュメモリーが時代の製品に合致したと。
「ノンボラタイル(不揮発性)でハイエンド」のメモリーをやるべき、というのはDRAMの失敗ですでに学んでいて、進むべき方向性はわかっていた。
それと、他の競合フラッシュメモリーメーカーがたまたま事業を辞めてくれたのも幸運でした。「あれだけ巨額な赤字を生んだDRAMと同じメモリーをまたやるなんてとんでもない」と半導体をよく知らない経営者が逃げたのかもしれないし、「東芝に特許を握られているフラッシュメモリーなんてやってられない」という判断になったのかもしれないですね。
――1992年に東芝がサムスンに技術供与したことはいまだに批判があります。