「何となく」「空気で」…
恐ろしい意思決定プロセス

「でも、1年間閉館しないとできないほど大変な工事なら仕方ないじゃないか」と思われる読者もいるかもしれません。しかし、後に学生たちがこの理不尽な決定に決然と立ち向かった結果、大学側はアッサリと閉館期間を「1年」から、「2週間」に変更する修正案を出したのです。

 どうしたらこんなに短縮できるのか。元々はヤル気がなかったのが、急にヤル気を出した、としか思えません。私は心底あきれました。しかし、よく考えてみれば、日本のエリート組織で、このような不可思議な決定が下されることは、決して珍しくありません。

 東芝は、錚々たる学歴の役員たちがいて、著名な社外取締役たちも招聘していながら、原子力事業に身の丈を超えた投資をすることを止められませんでした。また、森友学園問題や加計学園問題では、エリート集団である霞が関の役人たちが、安倍首相や昭恵夫人への「忖度」をしたのではないかという疑いが出ています。

 大変な決定なのにもかかわらず、「何となく」「空気で」もしくは「忖度しながら」進められた結果、後々に大事件に発展する、というようなことが今、日本社会の至るところで起きています。東大図書館騒動に関して言うなら、異議を唱えるのが面倒だったり、詳細を確認して本当に「1年間の閉館」がやむを得ないのかどうかを検討する労を惜しんだ結果なのだと思います。