W・エドワーズ・デミングは、品質の分野における指導的な思想家として広く認知されている。彼は日本の戦後経済の変革に最も影響を与えた人物として知られているが、アメリカの製造業やサービス業が彼の思想や功績の価値に気づくのはそれからかなり後のことだった。
人生と業績
デミングは1928年にエール大学より数理物理学の博士号を取得し、その後10年間は数学、物理学、統計学の講義や執筆活動に力を注いでいた。製造工程に統計学的アプローチを応用して実験を行なっていたウォルター・シューハートの研究を知るようになるのは、1930年代終わりになってからのことだ。デミングは、シューハートの手法を非製造プロセス、特に事務作業や管理、経営活動に適用することに興味を持った。1939年にアメリカ国勢調査局に籍を置くようになってからは、統計学的工程管理手法を応用し、作業効率を6倍に向上させた。さらにこの頃、自分とシューハートの統計学的工程管理の新手法を技術者や設計者に教えるための講座を開設した。
デミングは統計学者としての専門知識を買われ、第二次大戦後、日本の国勢調査のアドバイザーとして招かれた。この頃アメリカは世界をリードする経済大国で、その製品は世界中の羨望の的であり、デミングの新しい思想は必要とされていなかった。一方日本は、自国の製品が国際水準に比べて粗悪だということを認識していた。また、戦争の余波で、製品完成後の検査で不合格となった製品材料を破棄するような経済的ゆとりはなかった。日本はこれらの問題の解決に役立つ手法を探していた。日本での滞在期間中、デミングは日本科学技術連盟(JUSE)に関与するようになり、統計的手法および全社的品質管理、すなわち現在トータル・クオリティ・マネジメント(TQC)として知られている手法について日本人に講義を行なうという経歴がスタートした。
アメリカが日本での彼の業績にようやく気づき始めたのは、1970年代の終わりになってからのことだった。1980年代には彼の研究やその影響についての本が次々と出版された。1980年にアメリカで開催した幾度かのセミナーにおいて、デミングは西洋式マネジメントの全面的な変革の必要性を説いた。1986年には、日本の製造業を変革へと導いた思想と実践について記録した『危機からの脱出』(Out of the Crisis)を発表した。
彼の思想はイギリスで認められ、1987年にイギリスデミング協会が設立された。デミングは1993年に死去した。