今から十年も前のことだ。静岡県が進めていたある大型施設の整備事業に住民グループが「ちょっと待った」と声を挙げ、行動に打って出たことがある。住民投票で建設の是非を問うべきだと、条例制定の直接請求の署名運動を展開させたのだ。
俎上にあげられたのは、例の静岡空港の建設についてだった。必要性に疑問を抱いた住民グループは、「県民の意思を直接確認したうえで事業続行か中止かを決めるべきだ」と主張した。思いを共有していた住民が県内各地に存在した。署名集めはりょう原の火のように広がり、約30万人分の署名が集まった。有権者数の1割近くに達し、地方自治法で規定されている必要署名数(有権者の50分の1以上)を大きく上回った。こうして静岡県で住民投票条例制定の直接請求が成立した。
静岡県選挙管理委員会に署名簿の山が運び込まれ、手続きは次なるステップへと進んでいった。法の規定通り、県知事が自らの意見を附して議会に住民投票条例案を提出した。2001年6月のことだ。この時、署名集めに奔走した住民グループは思いがけない展開に心を躍らせた。空港建設を県政の最重要課題に掲げ、いわば政治生命を賭けていた石川嘉延知事(当時)が、まさかの行動に出たからだ。住民投票条例案に「賛成」との意見書をつけて議会に付議したのである。住民投票によって県民の意思を確認したいとの考えを示したのである。
住民グループは「これでまちがいなく住民投票は実施される」と、大喜びした。そして、「わが県の知事さんは民意を大事にするりっぱな人だ」と、胸を張った。条例案は暫く、議会に付議されたままの状態に置かれることになった。それも致し方なかった。県知事選挙が告示され、議会が開店休業状態に入ったからだ。
01年7月に実施された静岡県知事選は激戦となった。3期目を目指す現職と空港建設反対を掲げる有力新人の事実上の一騎打ち。空港建設の是非が最大の争点となると見られていた。ところが、選挙戦突入直前になって状況は一変した。きっかけとなったのは、6月に出された直接請求に対する知事の意見書である。現職候補は選挙公約にも「住民投票推進」を掲げ、空港建設反対の新人候補と一線を画した。空港是非を真正面から論戦することを巧妙に避けたのである。こうして知事選最大の争点が完全にボケてしまい、現職の強みだけが際立つ結果となってしまった。石川氏が3選を果たしたのである。もちろん、空港建設に反対だという県民の中にも、石川氏に1票を投じた人達が少なくなかった。意見書や選挙公約を疑うことなく、信じたからである。