「1位になったのに、なんで優勝じゃないんだよ」

 それが当時の僕たちの偽らざる気持ちでした。でも、ルールですから仕方ありません。

 優勝を決めるプレーオフに、レギュラーシーズン1位の日本ハムは、第2ステージから出場します。対戦相手は、第1ステージを勝ち抜いてきたソフトバンクです。3勝先取という優勝条件に対し、レギュラーシーズン1位の日本ハムは、1勝のアドバンテージをもって臨めました。

 10月11日、札幌ドームで行われた1試合目を3対1で制し、日本ハムは優勝に王手をかけます。そして迎えた翌日の2戦目、試合は投手戦となり、9回表のソフトバンクの攻撃が終わった時点で、スコアは0対0でした。9回裏、日本ハムの攻撃は1番バッターの僕からスタートします。

 ソフトバンクのピッチャーは、この年、勝利数、防御率、奪三振数、勝率でリーグトップだった、エースの斉藤和巳さんです。

 フォアボールで出塁した僕は、2番バッター田中賢介の送りバントで2塁へ進みます。その後、3番バッター小笠原道大さんが敬遠によって出塁、4番バッターのフェルナンド・セギノールが空振り三振で凡退したため、ツーアウト、ランナー1塁、2塁の状況で、5番バッター稲葉篤紀さんの打順となりました。ネクストバッターズサークルには、6番バッターの新庄さんが入っています。

「外野は前進守備してるな。内野安打だったらホームには帰れないだろうな」

 2塁ベース上の僕は、いろいろな展開を頭の中でシミュレーションしていました。

 緊張が高まるなか、斉藤さんが投げたフォークボールに、稲葉さんがバットを当てました。打球はセカンドへ。普通なら、セカンドがキャッチしたボールを、2塁に入ったショートにトスして、ランナーアウトとなる場面です。ソフトバンクの守備陣の連携は完璧でしたから、誰もが小笠原さんはアウトになると思ったでしょう。

 しかし、この場面で小笠原さんが、2塁ベースに向かって気迫の全力疾走をみせました。審判の判定は……セーフ! ソフトバンクの守備を、日本ハムの全力疾走が上回った瞬間でした。

 その間、2塁から3塁へ、僕も全力疾走です。背後で何が起こっているかは見えませんから、走りながらこんなふうに思っていました。

「ボールが抜けていれば、僕が3塁まで走って満塁だ。でも、セカンドとショートの位置はバッチリだったから、小笠原さんがアウトになって試合延長かな」

 ところが前方で、当時3塁コーチャーだった白井さんが、腕をぐるんぐるん回しています。外野に抜けていても、ホームに帰るということはほぼ無理な状況でした。内野で捕られていたらなおさらで、ホームに帰るというありえない状況にもかかわらず、です。

「うそ、何が起きたの?」

 3塁を蹴ってから、セカンドのほうを横目で見ると、小笠原さんがセーフになっているのがわかりました。

「えー、小笠原さんセーフかよ! えっ、優勝?」

 そんなことを思いながらのホームインでした。サヨナラ勝ちです。優勝です!

 大歓声のなか、新庄さんが大喜びで僕のほうに駆け寄ってきてくれます。

 でも僕は冷静に考えました。

「待てよ。ここは新庄さんじゃないでしょ」

 瞬時に計算して、ヒットを打った稲葉さんに向かって走っていきました。

 僕が稲葉さんのほうに走り出す前に、新庄さんのほうをチラッと見た様子は、テレビでも中継されていました。映像をお持ちの方は、僕の視線に注意して見直してみてください。

 スポーツでも、仕事でも、勉強でも、結果を出せる人は、全力疾走をいやがりません。2006年の日本ハムは、チームのがんばりを支持してくれた地元の人たちからの応援を得て、優勝まで一気に走りきることができました。

 また、プレーオフ2試合目、9回裏の最後の場面で、セカンドがセーフになるシチュエーションは、どの球団も想定していなかったはずです。

 奇跡が起きたのは、全力で走っていた僕たちへの、神様からのプレゼントだったのではないかと思っています。

 当たり前のように全力疾走していれば、その様子は、人からも、神様からも見られているのです。