「神様が味方になる習慣」とは? 享年62歳で亡くなられた小林正観さんが、40年間の研究でいちばん伝えたかった「ベスト・メッセージ」とは? 「人間関係」・「仕事」・「お金」・「病気」・「子ども」・「運」・「イライラ」・「男女」など、あらゆる悩みが解決するヒントがあります。
「悩み・苦しみ」という泥水が濃いほど、
「幸せ」という大輪の花が咲く
お釈迦(しゃか)様の台座は、「蓮(はす)の花」です。
なぜ、蓮の花が選ばれたのでしょうか?
蓮の花は、「泥水」の中からしか、立ち上がってこないといわれています。真水の場合、蓮は立ち上がってきません。
しかも、泥水が濃ければ濃いほど(水が汚れているほど)、蓮の花は、大輪の花を咲かせるらしいのです。
泥とは、人生になぞらえれば、「つらいこと」「悲しいこと」「大変なこと」です。
蓮の花とは、まさに「人生の苦難の中で、花を咲かせること」です。そして、その花の中の実が「悟り」ということにほかならないでしょう。
「つらく悲しい思いがなければ、人間は悟ることがないのだ」ということを、お釈迦様は教えたかったようです。
蓮の花には、「3つの特徴」があります。
【1】 「花果同時(かかどうじ)」
花と果実が同時に開く(実る)ことです。花が開いたときに、中にはすでに果実が存在しています
【2】 「汚泥不染(おでいふせん)」
蓮の花は、どんなに汚い泥の中から立ち上がってきても、その汚れに影響を受けず、とてもきれいに咲いています
【3】 「蓮にあだ花なし」
「あだ花」とは咲きそこなったり、きれいに開かなかった花のことをいいますが、蓮の花には、あだ花がないそうです
泥水から立ち上がってきた蓮の花は、きれいに咲く。泥の中から立ち上がってきたことを感じさせないほど、美しく咲いています。
つまり、どんな悩み・苦しみ・大変なことの中から立ち上がってきても、そこで泥を突き抜けて花を咲かせた人は、美しいもの(悟り)を手に入れる、ということです。
お釈迦様は、蓮の花のありようについて、ひとつの「経文」を残しました。それが「法華経(ほけきょう)」というものです。
お釈迦様にとって、蓮の花のありようは「人間のありよう」を教えるものであったのでしょう。
「美しい花を咲かせるためには、泥が必要である」
「悲しみ、つらさ、大変なことがない限り、美しい花を咲かすことができない」
ということを、お釈迦様は、後世の人に伝えたかったようです。
「私たちには泥水が必要である」そう思うことができれば、「不幸」や「悲劇」と言われていることは、じつは自分にとって、ものすごく嬉しく、楽しく、幸せで、素晴らしいことだということに、気づけるのではないでしょうか。