同じ平山の回想には昭和30年頃、大観が老衰危篤に陥った時のことが書かれている。周りにいた新聞記者が耳もとで「大観先生! いまお酒を頂いていますが、とても美味しいですよ」と大声で言った。そして、酒を含ませた綿を口に含ませ、次に水口から酒を飲むと、大観の意識は戻った。その後の数年間で数十枚の作品を描いた。このような逸話が大観の酒豪の伝説になったのではないか、と平山は述べている。

 酒は百薬の長というのは幻だが、痩せ型の大観が長生きできたのは、食べ過ぎは体に毒という証明だろうか。解剖された遺体からは89歳という高齢にもかかわらず脳の萎縮度は60歳前後、血管にも動脈硬化は見られなかった。その脳は現在も東京大学に保管されている。

 大観は老子の「死而不亡者壽」(死してしかも亡びざるものは寿[いのちなが]し)という言葉を好んだ。死んでも亡びないものこそ命は長い──彼は死んだが、作品は残った。

 明治、大正、昭和と生きた大観は国粋主義者と批判されることもあった。彼が描いたのは雲間にのぞく富士山、鮮やかな桜、日輪と鶴の群れなど美しい日本の姿だ。かつての日本人が目指した理想は今も、多くの人の心を惹きつけている。たとえ、その美しさが幻だったとしても。

参考文献/『大観自伝』横山大観著、『別冊 太陽 気魄の人 横山大観』

(小説家・料理人 樋口直哉)