3月11日の震災で、家族3人を失くした遺族がいる。

 遺族の声が新聞やテレビから次第に消えつつある今、改めてこの人たちの「声なき声」に耳を傾けることが必要ではないか。

 今回は、夫、娘、息子を津波で亡くした看護師に取材を試みることで、「大震災の生と死」について考える。


3月11日、私の死生観は変わった
死を中心に人生を考えるようになった――。

看護師の尾形妙子さん。宮城県東松島市内の病院で、看護部長を務める

「すごくわかるの。あの3人の思いが……。私のことが心配で仕方がない。悲しんだり、へこんでいると、夫や娘、息子があの手この手を使い、勇気づけようとしてくれる。『ママ、そんな落ち込んでいたら、こちらはゆっくりできないよ』。この半年、そんな声がするくらい」

 尾形妙子さんは、私からの取材依頼を引き受けた理由をこう答えた。3人の死を受け入れることはできていないという。

「3月11日以降、私の死生観が変わった。死ぬために生きるというか……。死を中心に考えるようになった。3人の死を受け入れるということではなく、これからも一緒に生きていく。いずれ、あの世で会えると言い聞かせている」

 そして、ある医師との出会いを語った。

「3人の後を追いたいと思ったこともある。だけど、あの人たちはそんなことを望んでいない。最近、知り合った女性の先生から、こんなことを言われたの。そしたら、気が楽になった。『家族3人がいなくなったのだから、悲しくなるのが当たり前。あっちの世界に気持ちだけは行っておいで。だけど、必ず戻っておいで』って」

 3月11日午後2時46分、地震発生の瞬間、尾形さんは勤め先である東松島市(宮城県)の病院の3階の部屋にいた。急いで病室に向かおうとしたが、廊下に出ると、揺れは一段と激しくなった。階段付近の防火扉が大きな音を立てて、開いては閉まる。