この連載も最終回となるが、今回は遺族について考えたい。私がこの9ヵ月間、被災地を歩き、今回の震災で「最も虐げられた人々」と感じるからである。

 遺族を襲ったのは、地震や津波だけではない。実は、日本の社会からも政治からも、疎んじられつつある。それを多くの日本人は黙認する。声を出すことすらできずに、苦しむ遺族たちに思いを寄せる識者へ取材を試みた。


「踏み越えてはいけない一線」を越えた
今や震災について語る人さえいない

明治大学教授の福田逸氏。

「私たちが最も考えるべきは、遺族のこと。だが、今や震災について語る人すら少ない」

 明治大学商学部教授の福田逸氏は、そう疑問を投げかける。大学では演劇や翻訳のゼミを担当する一方、舞台の演出をしたり、政治や経済への発言も行なう。さらに、こう踏み込む。

「今回の震災では、阪神淡路大震災などと比べると、行方不明者がはるかに多い。今になっても “戻らない死者”を待つ遺族もいる。その人たちの心がわからない人が、原発の危険性について語っても説得力がない」

 福島で爆発した原発を憂いながらも、遺族について語り続ける。原発は必ず人類の英知が克服する。そのような原発に囚われるよりも、遺族に重きを置くことにこそ強い関心を払うべきというのが、この震災に関する福田氏の強い信念である。

「被災地では、2万人近くの人が死者・行方不明者となっている。3月11日、この人たちはたまたま、あの地にいたから巻き込まれた。もしかすると、我々が震災に襲われていたのかもしれない。2万人の死を自分のこととして受け止めることができないこの国は、何かが間違っている」

 福田氏は、震災発生から1ヵ月が過ぎた4月下旬、被災地の宮城県を訪れた。「発信者として、何かを感じ取っておきたいと思った」