ネット上の優等生的な批判が世の中をつまらなくしている!?

田端 あまりにも優等生的な目線から、学級委員みたいにみんななっちゃうのは面白くないですよね。

新谷 実際、ちょっと驚いてしまうリアクションもあります。たとえばニューズピックスのような読者参加型のネットメディアに私のインタビュー記事が掲載されるケースにおいてです。文春に書かれたことがある堀江貴文さんなどがメチャクチャに批判するのは想定内ですが、多くの人から返ってくるのは、まるで小学校の学級委員や、風紀委員のようなトーンの指摘です。「他人の不幸で飯を食って何が楽しいのか?」とか、「こんな仕事、最低!」とかいった批判が殺到し、要は吊るし上げを食ってしまうわけです。思えば私は小学生の頃から、よく友だちをふざけてからかったり、あだ名を付けたりして、優等生たちから帰りの反省会で吊し上げられていましたけど。

田端 言わば、「あしたのジョー」の時代によく見かけられた光景ですか?

新谷 そう、ああいった感覚ですよ。

田端 なるほど、わかります。確かに、ああいった雰囲気に近いものが今のネット上では見受けられますね。

新谷 昔から、「新谷君が誰かをいじめていました!」とか、「立ちションをしていました」とか、しょっちゅう告発されたものです。でもって、「新谷くんのやっていることはいけないと思います」、「私もそう思います」、「そうです」といった具合に糾弾されたのですが、ネット上でいっせいに「ふざけんな!」との批判が書き込まれると、当時の記憶が鮮明に蘇るわけです。こちらとしては、「すみません。面白いと思ったから」と呟くしかありません。

 ただ、それぞれのコメントに目を通していると、「そんなに真面目すぎると息が詰まるのでは?」とも思う。しかも、自分はけっして批判されない安全地帯から正論を吐き続けることに、私としては「そんなことして面白いのかな」と素朴な疑問を感じてしまうのです。

田端 こうして実際にお会いすると、新谷さんが心の底からそう思いながら記事を作っていることがわかります。でも、とかく世間は新聞広告や電車の中の吊り広告だけを見て、そこに書かれた見出しから伝わってきたファーストインプレッションだけで物事を決めつけがちです。ネットニュースにしても、最後までちゃんと読まずに自分の中の先入観だけで結論づけたりします。

新谷 えてして過激な批判をする人ほど、そのパターンが多いですね。きちんと読んで記事の内容を正確に理解したうえでの反論は意外と少ない。

田端 それにしても、週刊文春にはタブーがないな、と僕は常々思っています。三代目J Soul Brothers(EXILEの弟分)のレコード大賞1億円買収疑惑とか、読売ジャイアンツの野球賭博とか、そういったネタは文春以外ではほとんど取り上げませんよね。それに、今までなら当事者たちが巧みに情報操作してスルーされがちでした。

 だけど、最近はその手のネタも文春の記事にLINEみたいなSNSやネット系のメディアでのフォローが組み合わさっていくことで、巷で大きく注目され始めてきた。そうなってくると、「プライバシーを曝くなんてけしからん!」とか言ってももはや仕方がない話になって、次第にオープンな社会になっていく気もしますね。“文春砲”がネット上でも拡散することによって、テレビや新聞のご都合主義みたいな状況が白日の下に晒されていくわけです。

新谷 視聴者や読者も、薄々は気づいていますよね。そのことがメディア不信をいっそう助長する側面はありますが、メディアによって報じることと報じないことがあるというダブルスタンダードのようなものができあがっていることを、世間はかなり感じとってきています。

 逆から言えば、そのような状況下でリスクをとって真実の報道を貫くことは、我々の看板への信頼につながるわけです。もちろん、私は綺麗事を言いませんから、報じないことをゼロにするとまでは断言しません。だけど、たとえ相手が誰であろうと、できる限り真実を書く努力をすることは誓えると思います。