Photo by Satoru Oka/REAL
このままの体制では、会社が持たない──。
2008年末、リーマンショックを発端とした世界同時不況は、派遣社員の仕事を瞬時に奪い、「派遣切り」という社会問題を引き起こした。
建設業を中心とした人材派遣会社のフラップマネジメント社長、井手秀明にとっても眠れない日々が続いた。
新たな仕事が獲得できずに、先行きが見えなくなっていただけではない。最大の強みだったはずの会社の雇用体制が、業績をさらに悪化させかねない事態に陥っていたのだ。
じつは井手の会社は、派遣スタッフをすべて正社員として雇っている。社会保険を完備し、仕事がなくても基本給をきちんと出す体制だ。手続きは登録だけで簡単だが、仕事がなくなれば給料が出ない「登録型派遣」とは一線を画していた。
そのため、当時70~80人の派遣スタッフの給料だけで月に数千万円の支出、社会保険の負担も重く固定費はかさむ一方。新たな仕事は入ってこず、5月の大型連休の頃には赤字幅が単月で1000万円規模まで広がっていた。
「いっそのこと、登録型の派遣として会社の構造を変えるか、他の企業と同じように一律給与カットを実施してしまおうか」
しかし、井手の出した結論は、雇用も給与も現状のまま維持することだった。信用保証協会の保証を楯に金融機関からつなぎ融資を得て耐えしのいだ。
すると、次第に仕事が舞い込むようになった。正社員として安心して働ける環境を整えていたことで、井手の会社のスタッフの質はきわめて高い。そんな人材を、余分な人員を雇えなくなり人手不足に陥っていた現場が求めていたのだ。7月には業績が戻りV字回復を果たす。
大手が倒産し大リストラに見舞われる派遣業界のなかで、「派遣切り」なしでしのいだ井手も、「若いときの経験がなければ乗り切れなかっただろう」と言う。その原点は、若かりし日の波瀾万丈の人生にあった。
年商1億円超えから一転
1500万円の借金をわずか3年で完済する
井手は地元の高校を卒業後、知人の影響を受け19歳で中古車販売会社を設立。好景気の追い風を受けて年商は1億円を超え、「世の中はこんなに儲かるのか」
と舞い上がっていた。
しかし、不動産投資に手を出したのが運の尽きだった。バブルがはじけて一転、土地が売れずに会社を倒産させてしまう。21歳の井手には1500万円の借金だけが残った。