昼定食の10円単位の価格差に悩む日々から、10ドル以下は意に介さず、会社のフリンジベネフィットで高級ホテルや飛行機のアップグレードが当たり前の日々へ--。ジェットコースターのような金銭感覚の変化を経験して考える、「お金」の価値とは?東京大学法学部を卒業後、財務省(当時の大蔵省)を経て、フランス・パリ郊外にある経営大学院INSEADでMBAを取得し、マッキンゼー・アンド・カンパニー勤務ののちロボアドバイザーサービス「ウェルスナビ」を創業した柴山和久さんに聞きました。
振り返れば、「お金」にまつわるキャリアを積み重ねてきました。新卒で財務省に9年勤め、その後はINSEADで金融工学をひたすら勉強し、マッキンゼーで大手機関投資家の資産運用プロジェクトなどに従事し、ウェルスナビを創業しました。
でもそれは、お金がすごく好きだから、というわけではないのです。
むしろ私が一貫して大切にしてきたのは、お金が与えてくれる「自由」でした。
お金があると、モノやサービスのように形あるものだけでなく、精神的なゆとりを手に入れることができます。仮に働かなくてもやっていけるくらいに経済的な余裕があれば、「別の仕事をしてみたい」「新しいビジネスを始めたい」と思ったときに躊躇することはないでしょう。でも普通は、「年収がいくらになるだろうか」「このまま会社を辞めなければ、退職金はいくらになるだろう」と、つい考えてしまうものです。私も、もちろんそうでした。
転職や起業といった人生の決断に影響するくらいですから、お金はあらゆることの「制約条件」になると言えるでしょう。自分が実現したいことを追求する「自由」を得るために、お金を手に入れるべきなのです。
個人投資家向けのロボアドバイザーサービス「WealthNavi(ウェルスナビ)」は、働く世代が「お金を貯める・増やす」ことを手軽に実現するためのサービスです。単にお金を増やしてもらいたいというよりは、お金という制約条件をユーザーから取り払って、本当に大切なことに集中できる状態を作ってもらいたいのです。
財務省の食堂で560円の和定食を躊躇
マッキンゼー時代はホテルで特別扱い
財務省、マッキンゼー、起業家というキャリアを通じ、私の金銭感覚は著しく変化しました。
新卒で入った財務省は、仕事として扱う案件こそ100億円以上でしたが、同僚の生活は皆とても庶民的でした。私も例外ではなく、入省当時は留学をめざして英会話スクールにローンを組んで通っていたせいもあって、生活費をとにかく切り詰めていました。昼食を470円のA定食にするか、少しぜいたくをして560円の和定食にするか、本気で悩んでいたぐらいです。同僚や先輩と飲み会に行っても、一人3000円程度の予算で居酒屋に行くのが普通でした。
本当にお金に困ったのは、財務省を辞めてINSEADでの留学を終えた後、就職活動をしていた時期です。民間企業での実務経験がなかったからか、20社ほど応募しても多くは面接にすらたどり着けません。経済的にもどんどん苦しくなり、夫婦の預金残高は10万円を切るところまでいきました。
コーヒーショップでドリップコーヒーを頼むと2杯目が100円でもらえるサービスを使い、妻と分け合って飲んでいたときのことです。隣の老婦人はバギーに乗せた犬に、僕らが飲むドリップコーヒーの倍近い値段のフルーツ味のフラペチーノを食べさせていたのです。犬にも負けている--。今だから笑って話せますが、当時は「自分は世の中に必要とされない人間なのか」と心の底から落ち込みました。当時はモノの価格にも敏感で、スーパーでジャガイモが20円高くなると、気軽にカレーが食べにくくなるな、と憂鬱になったのを思い出します。
そんな折、たまたまマッキンゼーに拾われて入社したら、ジェットコースターに乗ったかのごとく別世界が開けていきました。最初は仕事に食らいつくのに必死で、金銭感覚の変化を感じる余裕もありませんでした。しかし、1年ほど経つと仕事にも慣れ、お金に余裕がある状態が普通になってきます。感じが悪く聞こえるかもしれませんが、いつしか10ドル以下のお金については考えずに使うようになっていました。野菜の価格に10円単位で一喜一憂していた時代とは大違いです。
マッキンゼーのニューヨーク支社で働いていた頃は全米の金融機関のプロジェクトに参加していたため、毎日のようにダラス、ボストン、シカゴと米国内を飛び回っていました。私個人というより法人として航空会社やホテルからすれば上客ですから、頼まなくても飛行機はエコノミーからビジネスにアップグレードされ、ホテルではスイートルームに通されるようになります。
こういったフリンジ・ベネフィット(従業員に与えられる給与以外の便益)は、初めのうちは気分よく楽しめるし、すぐにもらえて当然、という感覚になってきます。でも、しばらくすると考えさせられるようになりました。よく考えれば、それは自分の実力や財力ゆえでは決してない。お金や時間に余裕のある人が何週間も滞在してくつろげるようなスイートルームに泊まっても、自分はベッドの一部とバスルームを行き来するだけ。つまり、バタバタと2~3日ごとに移動するビジネスパーソンにとっては宝の持ち腐れです。
それよりも、特別扱いされて当たり前という感覚に陥ることが怖くなっていきました。米国の空港やホテルのカスタマーデスクで「Who do you think I am?(俺を誰だと思っているんだ?)」などと偉そうな調子で詰め寄っている風景をよく見かけましたが、自分もそんなふうに変わっていくのではないか、と分不相応な生活に不安を覚えたのです。ある時期から、ホテルでは「普通の部屋でけっこうです」とアップグレードを断るようになりました。