Jリーグが主催するカップ戦の「ルヴァンカップ」は、紆余曲折を経ながらも25年間という長きにわたって続いている。大会が続いた最大の理由は、スタート時からずっと支え続けてきたスポンサー、ヤマザキビスケットの飯島茂彰社長の存在がある。DOL特集「ルヴァンカップ25年目の真実」最終回は、飯島とはどのような男だったのかを探った。(サッカーライター 江藤高志)
運営はすべて委ね
資金面の支援に限ってきた
1993年のJリーグ開幕に先立つ92年、YBCルヴァンカップ(旧ヤマザキナビスコカップ)は産声を上げた。この大会を25回に渡りスポンサードしてきたヤマザキビスケットの飯島茂彰社長は、カップ戦の運営については全てをJリーグに委ね、あくまでも資金面の支援に限ってきた。
その理由について飯島は、「Jリーグの皆さんは将来像を描いていたと思うんです。しかし、われわれはサッカーの運営に関しては全くの素人ですから、一切口は出さないということに決めておりました」と話す。そして「うまくいくこともあるし、ちょっと苦しい時もあるかなっていうのは考えていました。どんな状況になってもうまくいってほしいというだけの気持ちでした」と言葉を続けた。
カネは出せども口は出さず。そんなスタンスは、飯島にサッカーについては素人だとの自覚があるから。一方で飯島は、Jリーグに迷惑をかけないよう、スポンサーを続けられなくなるような事態だけは避ける。そのためには会社経営に万全を期さなければならない、との思いがあった。