2008年年末から09年年初にかけての「年越し派遣村」に象徴される格差問題が、崩れかかっていた自民党政権を崩壊させ、民主党政権を誕生させるきっかけになったように、「日本死ね」に始まる一連の教育政策での対応の不手際が、安倍政権のアキレス腱になりそうな様相を呈した。

唐突だった「憲法改正で無償化」
総選挙前に再び目玉政策に

 昨年5月の憲法記念日、安倍首相がかなり唐突に、憲法改正の目玉として九条と並んで「教育無償化」を掲げたのは、教育への熱意をアピールする狙いがあったのだろう。

 しかし、自民党結党以来の目標である「九条改正」と、野党が先行する形で急浮上した「教育無償化」を並べるのは、いかにも不自然だった。

 さらに無償化に伴う財政支出の大幅な増加、しかもその増加分を憲法によって恒久化することは、小泉内閣以来進めてきた財政改革に逆行するように思われる。

 教育無償化を憲法改正の眼目にするのなら、憲法とはそもそも何を規定し、何を目指すものなのか、そして、自民党は現行憲法をどういう性質のものと認識し、どう変えたいのか、憲法の本質をめぐる議論が必要だ。

 異質な論点を持ち込む以上、安倍首相自身がどうして改正に拘るのか改めて説明すべきだろう。

 野党や憲法学者だけでなく、党内からも批判が出たため、この案自体はうやむやになった感がある。

 しかし、野党側の足並みの乱れを見越して急遽、決めた10月の解散・総選挙に向けて、首相は再び「教育無償化」を打ち出し、自民党も公約に掲げた。

 そのため今度は、政府・与党は何のために増税するのかが疑問に付されることになった。

 政府・与党はこれまで増税分を財政再建に充てると言っていたはずだ。この財政健全化目標は諦めるのか。諦めるのであれば、増税は一旦白紙に戻すべきだった。