人間らしく、それなりに女性らしくいたい

─ ファーストキャリアの引退の時、体力的なことが理由として報道されてましたが、やはりルールの改正が引金になったのですか。
 モチベーションを奪われるひとつにはなりましたね。以前は出場した総得点に対して出場大会数で割るという、平均点方式だったんです。

 それが、いまはとにかく加算式なので、負けても、とにかく大会数をこなして、どこかで勝てばポイントが上がるのです。私みたいに小さい身体ではスタミナがあるわけではないので、それだとちょっとキツいですね。

 元気があって、スタミナがあって、パワーのある選手の方が、当然有利にはなってくるのです。引退は、そういうこともひとつのきっかけにはなりましたけど、ベースには20代の頃の私は、ツアーが好きではなかったというのもあります。

 勝つことが当たり前になって、勝たなきゃいけないことが当たり前の中で、精神的に、自分自身でハンドリングできない部分というのが大きくなって、そこに疲れ果ててましたね。メンタル的に。

─ どちらかというと、心の方なのですね。
 当然、肩の状態がよくなかったり、ランキングシステムの問題とか、いろんな要素がありましたけど、一番大きいのは、やはり心の問題ですね。

 頭も疲れているし、心も疲れているというのが大きかったです。とはいえ、勝てるレベル、トップレベルにいたので、そこから上に行くことの大変さも考えました。

 上を見るとグラフ、怪我を負ってましたがセレシュ、サバティーニ、サンチェス、マルチネス。その辺りがトップグループにいたのですけど、彼女たちを見てるとテニスがすべてで、ナンバー1になるためだったら何でもやる、みたいな感じでした。

 それくらいのメンタル力を持っていないと、グランドスラムも優勝できないし、ナンバー1を手にすることも無理なのかな、と。私にはそこまでするモチベーションはないかなと思いましたね。

セレシュ
1993年、当時シュテフィ・グラフとNO1を争っていたモニカ・セレシュは、ドイツでの試合中に、グラフの熱狂的ファンである暴漢に背中を刺され、その後遺症により2年半もツアーから遠ざかることになる。

─ 彼女たちは、テニス以外のことは捨ててる感じでしたか。
 私にはそう見えましたね。そこまでしてナンバー1になりたいとか、その当時は思えなかったですね。やっぱり私は、人間らしく、それなりに女性らしくいたいという気持ちもあるので、それを全部捨ててでもナンバー1に、とは思えなかったですね。

【Part 3】へ続く

伊達公子

1970年、京都生まれ。89年にプロ転向。ライジングショットの名手である。アジア出身の選手として史上初めてシングルスで世界ランクトップ10に入る。最高位は4位。これは現行システムでの日本人最高位である。WTAツアー、シングルス8勝、ダブルス6勝。17年9月、現役を引退した。エステティックTBC所属。