音楽とファッション。高橋幸宏さんはその双方のビジネスにおいて成功を手にし、そして、いまもなお前進をつづける稀有なひとである。大学生にしてスタジオミュージシャンでありファッションデザイナー。ヒト・コト・モノとの出会いのなかで自身のスタイルを構築してきた。出会いの服──ラウンジウェアについて話を訊いた。

写真=安部英知 グルーミング=日高マサカツ
ラウンジウェア=男達の社交場というイメージでしたジャケット、シャツ、トラウザーズ、ニットベスト、ネクタイ、ネクタイピン、シューズ(すべてトムブラウン)、ハットとカフリンクスはヴィンテージ。トムブラウン(Thom Browne)は、1950年代後半から60年代前半に米国東海岸の名門大学生のあいだで流行したアイビールック(アメリカン・トラディショナル)を再構築。アイビーをモードに昇華させたファッションデザイナーとして、アメリカファッション協議会(CFDA)の2016年度メンズウェアデザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。アイビー少年だった幸宏さんは、ファッションとして21世紀的解釈のアイビーを愉しむ

ファッションも音楽も兄弟の影響が大きい

僕の場合、やっぱり兄弟の影響が大きいですね。音楽は兄、ファッションは姉から教わったという感じです。音楽については、11歳のときにドラムセットを買ってもらい、家で叩きはじめました。

 それで立教高校1年生、16歳の頃にスタジオミュージシャンになったんです。兄が制作していたCMの仕事から始めて、19歳のときには「バズ」などのいろんなバンドでドラムを叩いていました。

 ファッションは、姉がやってた「バズ」というブランドの中に「バズブラザーズ」というメンズ部門のブランドを作ったのが最初です。そしてそのすぐ後には、加藤和彦氏、松山猛さんと3人で、自分たちの着たい服をつくろうということで、「ブリックス」というブランドを立ち上げたんです。

“フィフティーズのお洒落じゃない人のファッション”を作ろうということになって。ちょうどサディスティック・ミカ・バンドの頃だったので、70年代前半ですね。

 その頃は、個人的にはロンドンで古着を買いあさってました。よく早起きしてポートベローに行ってましたね。トレンチとかハリスツィードのジャケットとかいいものがあったんですよ。

 それらを手に入れ、それにヴィンテージのスカーフを巻き、帽子をあわせて帰ってきた記憶があります。行きと帰りがまったく違う格好になっていました。

 それはロンドンが一番面白かった時代かもしれないです。グラムロックなんですけど、尖ってる人たちは髪を刈り上げていました。ファッションは、みんなヴィンテージを上手く着こなしてましたし、グラムの全盛期には、いまお洒落といわれる日本の人たちも嵌まっていましたよ。

 たとえばイングリッシュ・ヴォーグでブライアン・フェリーがザパタとサンローランのコラボの白いキャンバスシューズを履いているのをロンドンで見て、加藤和彦氏と2人で、パリのイブ・サンローラン リヴ・ゴーシュまで買いに行ったりしていました。

 それを履いてドラムを叩こうと。「幸宏、靴が見えないじゃん!」ってよく言われましたが、「いいの、世界でこれを履いてドラムを叩いてるのは僕しかいないと思えば」って。それがアイデンティティになってましたから。