多数の仏メディアで話題となった全仏ベストセラー!
世界22ヵ国で翻訳された猫に教わる人生指南書の日本語版『猫はためらわずにノンと言う』がこのたび遂に刊行された。
他人の目は気にせず、決して媚びず、欲しいものは欲しいと言い、プレッシャーに屈せず、エレガントで自信に満ち、ひとりでも平気……子猫の時に事故にあい、左前足を失くした猫ジギーが、そんなハンディキャップをものともせず、むしろ「それが何か?」と気にもかけずに振る舞う姿は、常に他人の目を気にして、何かに追い立てられ、せわしく動きまわっている人間たちに、自分らしく生きるために本当に必要なことは何かを伝える本書から、一部抜粋して紹介する。
猫を飼っている人、猫好きな人だけでなく、猫のように、そこにいるだけで自然と一目置かれる存在になりたい人にも役に立つ!
何気なく見ていた猫たちの日常の仕草には、猫だけが知る深い人生哲学が込められていた!明日から、猫を見る目が変わります。
とにかく猫の時間を生きてみよう!
(アンドルー・ラング/詩人、民俗学者)
猫が座って、じっと景色を眺めている。
気がつくと寝そべっていたりする。
そんな彼らを見ると、一日中とにかく何もしない怠け者にしか見えないし、人間世界の目で見れば間違いなくそうである。
猫のように何もしないでただじっと眺めて息をする生活は、それを人間がやったらほとんど「怪しい人」だ。とにかく現代は「時間を無駄にしない」ことが至上命令、いつも何かしらの役割を果たして、何も用事がなければ無理にでも作って、バタバタと動き続ける毎日。
この絶え間のないせわしなさをちょっと横から眺めると、ふと奇妙な気持ちになる。
テレビでニュースを見ながら電話に応対し、家の中を走り回って疲れ果てている私たち人間は、猫に鼻で笑われているのかもしれない。
考えてみれば、「ゆっくり生きる」のは悪いことではない。
過ぎ去っていく一瞬一瞬を意識して、どんな短い時間でも有意義に使おうなんて考えは「ゆっくり生きる」こととは正反対だ。
それは人生の、そして毎日の暮らしの中の限られた時間で、「すべて見なくては」「すべてやらなくては」と思い込む、言いかえれば漠然とした死の恐怖に追いかけられるのをやめることだ。
猫は一見、何もしていないし時間の感覚もないのだろう。
やがて来る死の概念もないから、死ぬ瞬間まで何もしていないようにも見える。
(猫という生物が本来もっているじっとしているという能力について、生物学の世界では何か説明することができるだろう。しかしそれはまた別の話だ)
「ゆっくり生きる」とは、猫の時間を生きるということだ。
「やってしまわなければ」
「見てしまわなければ」
といった使命感や義務感を捨て、今という時間を味わって生きること。
私たちの中には、休暇でさえいつも以上に忙しく走り回らないと不安になる人もいる。
でも、アクセルを踏むのをやめてゆっくりと周りを眺め、猫をまねてみれば、人生に静けさが戻ってくるのを感じるだろう。
「豊かな」静けさが。
こんなことわざがある。
「生まれるのに時間をかけたのだから、
死ぬのにも時間をかけなさい」
生まれるのと死ぬのと、
その間は生きている時間だ。
それならその間も、
猫のようにゆっくり生きようよ。