わが国の最近の傾向として、海外留学を志望する学生が減っており、2004年に比べると2008年では全体で2割に減少したという。常時、わが国の海外留学生の3分の1以上を占めている米国への留学生に限って見ると(2010年度)、米国への留学生が多い国は、中国がトップで15万7000人(対前年23.5%増)、以下、インド、韓国、カナダ、台湾、サウジアラビアと続き、日本は第7位、2万1000人(対前年14.3%減)でしかない。これは、学生数で見ると、中国の約7分の1、わが国のピーク時(1997年度)のわずか45%の水準でしかない(以上の計数は、朝日新聞2012年1月29日朝刊による)。

留学生の減少で困ることは何か

 ところで、このような海外留学生の減少傾向は、わが国の将来にどのような影響を及ぼすのだろうか。私見では、長期的に考えると、外交や安全保障面での影響が最も大きくなるのではないかと懸念する。外交の巧拙や一国の安全保障は、つまるところ、他国に仲の良い頼りになる友人がどれだけいるかということによって、大きく左右される。

 有名な事例を一つ挙げてみよう。明治政府の国運を賭けた日露戦争が、比較的上手く終結に持ち込めたのは、伊藤博文の命令を受けた金子堅太郎の米国におけるさまざまな活動が預かって力があったからである。そして、金子堅太郎の活動を支えたのは、当時のアメリカの大統領、セオドア・ルーズベルトとの友情であった。この二人が友情を育んだのは、金子堅太郎がハーバード大学に留学していた時代であったことは言うまでもない。

 わが国では、隣国中国の国力の増大に対抗する観点から、「アメリカと共同して中国に当たろう」という戦略(?)を、喧伝する人が後を絶たないが、留学生が中国の7分の1のレベルで、どうして日米連携が米中連携に勝てると考えられるのか、摩訶不思議でならない。

 ペリー提督の来航目的が、中国との新航路開設を狙ったものであったように、歴史的に見ても米国は中国への関心が高い国であることを忘れてはならない。確かにわが国は米国と軍事同盟を結んでいる。しかし、いかなる同盟であれ、同盟の内実を強固にするものは、両国の人間関係(人的交渉)を置いて他にはないということは、数多くの歴史が教える通りである。