幸い、弘前第三十一連隊は総員38名が無事にたどり着けたが、青森歩兵第五連隊は三昼夜さまよったあげく、総員210人中、生存者わずか11名。大きな犠牲を出した。この違いはいったいどこにあったのだろうか?

 福島大尉は雪中行軍の経験がありその怖さを熟知していたため、入念な準備と計画を練っていた。しかも最初から士官中心の少数編成で行軍することを決めていた。

 これについては上層部から反論があったが「訓練ではなく研究であるからにはこれで十分」と福島大尉も反論する。さらにはすぐに構想に着手し、あっという間に計画概要まで作成して連隊内で情報公開した。以後はじっくり時間をかけて人選を行った。

 隊員には研究課題を与えた。すなわち、出発までの1ヵ月間に雪中行軍のリスクを想定して、対処法を準備させたのである。実際の行軍では、民家に宿泊して十分な休息を取り、地元民をガイドに頼み、徹底して隊員の安全を最優先した。

 もちろん、実際の戦争でこうはいかない。だが、今回はデータ収集のための行軍であり、いたずらに雪山でリスクを冒す必要などさらさらないと福島大尉は判断した。

 一方、上層部の命令に背けず無理な大編成で挑まざるをえなかった第五連隊は、装備、食糧準備、編成(下士卒がほとんど)において、すべての判断が甘かった。

 時間をかけて計画書を完璧に作成し、予行演習も行っている。ただし、その日はまれに見る好天気で、しかも八甲田の入口まで行っただけだった。本番は最悪の天候で、記録破りの寒波に見舞われた。奇跡的に生き残ったなかのひとりがこう述べている。

「行軍前夜は酒杯を傾け、かなり夜更けまで飲んだ。行軍といってもわずか5里(20㎞)くらいの距離だから温泉に行くつもりで手ぬぐい1本持っただけだった」

 この緊張感のない緩んだ空気を醸し出したのは最高責任者の認識である。

 福島大尉と同様、地元民をガイドにするチャンスは何度もあったが、軍の威信にかけて拒絶している。手ぬぐい1本の気楽さの割にはプライドが高いのである。