安倍晋三政権が今国会の最重要法案と位置付けている「働き方改革関連法案」を巡り、国会が紛糾している。「裁量労働制」について首相が「一般労働者よりも労働時間が短いというデータもある」と答弁した。しかし、この答弁の根拠となった、厚労省提出の比較データが不適切だと判明し、首相が答弁を撤回し、謝罪する事態となった。その後、データの中に不自然な値が多数見つかった。野党は一斉に猛反発し、法案の撤回を要求している。厚労省は、裁量労働制拡大を含む改革策施行の1年延期を検討せざるを得なくなった。
「裁量労働制」の争点は労働の
「量」ではなく「質」であるはずだ
国会の与野党攻防を観ていて、強い違和感がある。「裁量労働制」導入の検討は、2006年に第一次安倍政権が、ホワイトカラー労働者を対象に労働時間規制の適用を外し、働いた時間に関係なく、成果に対して賃金を支払う「ホワイトカラー・エグゼンプション」を打ち出した時に始まっている。それから10年以上、野党やメディアから「残業ゼロ法案」と猛批判を受け続けてきた。まだやっているのかと、正直呆れてしまう。
厚労省のデータがいい加減だったというが、そもそも「労働時間が短くなるか、長くなるか」が争点というのがおかしいのではないだろうか。本来、裁量労働制で問われるのは、労働時間という「量」ではなく、労働の「質」であるはずだからだ。
筆者は、実は「裁量労働制」で働いている。「大学教授」は、労使の協定で、業務遂行の手段、方法、時間配分を大幅に労働者の裁量にゆだねることができる「専門業務型裁量労働制」が認められた業種の1つだ。端的にいえば、筆者の仕事には、残業の概念も、有給休暇の概念もない。勤務時間にも基本的に決められた時間帯はないのだ(もちろん、授業などいくつかの義務的な業務はあるが)。
一方で、自分の実感として、大学教授は身体が2つ必要だと思う時がある。大学教授の仕事は授業、研究指導と、大学運営の業務がある。授業が毎日あるわけではないが、さまざまな業務があるので、結局月~金の9時から17時まで、大体毎日学校にいることになる。これは、サラリーマンの日常業務と、さほど変わるわけではない。