速水優総裁時代の1999年2月、「ゼロ金利政策」が初めて導入された時も、政治からの強い圧力があった。

 バブル崩壊後の景気低迷が長引く中で、前年に経営破綻した日本長期信用銀行(当時)などの処理が政治問題になる一方で、円高が急加速していた。

「長期不況の原因はデフレであり、デフレは日銀の金融緩和が不十分だからだ」

 そう主張する「リフレ派」と呼ばれる経済学者らに呼応するように、自民党や政府からは、長期国債の買い切りオペの増額や、「インフレ目標」の導入を求める声が高まった。

 日銀は、誘導目標としていた「短期金利(無担保コール翌日物金利)」を引き下げて0.15%とし、「市場の状況を見ながら、一層の低下を促す」ことを決定。これが、事実上の「ゼロ金利政策」といわれた。

 4月には、「デフレ懸念の払拭が展望できる情勢になるまで」、ゼロ金利を続けると表明。これは「時間軸政策」といわれ、日銀が将来もゼロ金利を続ける「コミットメント」することで、物価がいずれ上がるだろうという“期待”を醸成する狙いと説明された。

 当時の日銀幹部によると、政策金利を0.5%に下げた頃から、金利が「ゼロ」になる事態を想定して、日銀内では二つの政策がひそかに検討されたという。