震災時、経済産業大臣として東京電力福島第一原子力発電所の事故対応と、電力不足に対応するために実施された計画停電などの指揮を執った海江田万里・衆議院議員。国民の誰もが放射能という見えない恐怖に怯え、理不尽な計画停電に苛立ちを覚えていたとき、政権中枢では何が起きていたのか。そして、何を学び、いつ起きるかも分からない大地震に対して、日本はどう備えるべきなのか。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 原英次郎、片田江康男)
「安全神話」はフィクション
スピーディの存在も知らなかった
――今回の原発事故で日本人が学んだことは何だったのか。
Photo by Kazutoshi Sumitomo
私たちがずっと信じていた原子力発電所の「安全神話」はまったくの虚構だったということだ。まったく根拠のない、フィクションだったのだ。地震のエネルギーや津波の威力といった「自然の力」に対して、人間はもっと謙虚であるべきだった。原子力や自然の力に対して謙虚な姿勢が必要で、その上で安全対策を考えるべきだった。
――事故対策の初動の遅れについて指摘されている。何が初動を遅らせたのか。
初動が苦しかった一番の原因はオフサイトセンターがまったく機能しなかったことだ。オフサイトセンターは原発から5キロ離れた場所にあるのだが、電力供給がストップして非常用発電機も動かず、また周辺の放射線量も上昇していったことで、まったく本来の役割を果たせなかった。
それで、福島県庁に持っていったのだが、現場と距離が離れすぎていた。オフサイトセンターにしても、現地と福島県庁の間の中間点に対策を指揮できる指揮所のようなものを設置しておくべきだった。二重、三重に、多重的な対策が必要だったということだ。それまでは安全神話を基に、「オフサイトセンターが機能しないような事態は起きない」という考えだった。しかし、実際に今回起きてしまった。
結局15日に東京電力の本店(東京都千代田区内幸町)で統合本部を作って、福島第一原発や関係各所とテレビ電話が通じて、ようやく情報が入ってくるようになった。それまではとにかく情報がなかった。福島第一原発の電力も復旧せず、炉の状態がどうなっているのか、本当に分からなかった。そんな状態で判断をしなければならなかった。
――情報はまったく上がってこなかったということか。
そうだ。そもそも事故直後、官邸、文部科学省、経済産業省、原子力安全保安院、内閣府など関係各所の人間が一同に集まって、議論して判断を下すための場所と設備すらなかった。