東京電力福島第一原子力発電所の事故で、福島県飯舘村は全村が計画的避難区域に指定され、全村民が避難生活を余儀なくされている。飯舘村は、集落ごとに裁量権を持たせコミュニティ作りをする振興策が、総務省にも評価された有名な自治体だ。ところが村作り最終段階になって原発事故が起こり、これまでの努力がすべて水泡に帰してしまった。コミュニティはバラバラになり、住民の気持ちも村から離れつつある。不便な生活からくる不満や将来が見えない不安は、村作りを主導し、除染と復興を引っ張る菅野典雄村長に向かってしまい、村は分裂状態になっている。菅野村長に震災後1年間を総括してもらい、村の今後や復興計画について聞いた。
(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集部 片田江康男)

分裂状態の飯舘村
これが放射能の特殊性

かんの・のりお/1946年福島県飯舘村生まれ。酪農を営む傍ら、89~96年に嘱託として飯舘村公民館長を務める。96年10月に飯舘村長に就任。現在4期目。

――飯舘村では、菅野村長と村民との溝が深刻な状況だと聞く。村民は「反村長派」と「村長派」に分かれてしまっている。村が分裂状態になってしまった理由はどこにあると考えているか。

 これこそが、放射能の特殊性だと思っている。分裂状態とメディアは言うけれど、私は今のような状況になってしまったのは仕方のない話だと思っている。報道しているメディアは、どこも放射能の特殊性を分かっていない。

 災害が起こると、普通、住民たちは力を合わせて、復旧に向けてがんばる。心を一つにして、同じ方向を向いて動き出すんですよ。もちろん、災害の大きさによって力を合わせるまでに時間がかかるのだけれど。でも、放射能はまったく逆なんですよ。

 例えば、もともと住んでいた家に戻るかどうかは、夫と妻、若者とお年寄り、男と女、放射線量が高いところに住んでいる人と低いところに住んでいる人、それぞれの立場で皆、心が離れて逆を向いてしまう。これが私の言っている放射能の特殊性なんですよ。恐怖の感じ方がバラバラなんです。

 村の人の心を同じ方向に向けたいと思って、自治体はがんばっている。国も積極的に関わってくれているんだけど、実際に国は、自治体が村民たちが同じ方向を向いて復興に取り組めるようにがんばっているにもかからず、それを逆なでするようなことを言ってくる。この1年、そんなのばっかりだよ。国は現場が分からないからね。

 何度も言うけど、普通の災害はゼロからスタートする。心に傷は負うけれどもね。でも放射能というのは、マイナスからのスタートですよ。心を合わせるというスタート地点のずっと前から取り組まなくてはいけない。ゼロに向かって世代や性別、不安、生活苦を乗り越えなければならない。

 あなた、わかんないでしょ、心が離れるって。