2000年にドラフト1位で横浜(現DeNA)入りし、2008年に右打者歴代最高の打率.378をマークするなど「現役最高の打撃王」の座に君臨する内川聖一(福岡ソフトバンク)が、プロ18シーズン目にしてついに2000本のヒットを積み上げた。
51人目の大金字塔を打ち立てた過程には、史上二人目となる両リーグでの首位打者獲得や、WBC3大会連続出場、2009年同大会での世界一達成などがあった。しかし、そうした数々の栄光の陰で、内川は同じ数ほどの苦悩も味わっている。
その内面を誰よりも知っている人物がいる。内川とは1学年違いの弟、内川洋平である。
夢の中でも野球をしていた少年時代の内川
兄の聖一とともに大分工の野球部でプレーし、東海大まで捕手として野球を続けた弟の洋平。現在は地元大分のテレビ局に勤務し、東京支社で営業に駆け回る日々だ。
「ボクも野球は大好きでしたが、兄はその比ではありませんでした。『一緒に遊ぼう』と誘われても、キャッチボールやバッティングばかり。サンタさんへのお願いもボール1ダースでしたから(笑)。一緒に寝ていると、『よっしゃ、来い!』なんて寝言はしょっちゅうでした。きっと夢の中でも野球をしていたのでしょうね」
少年野球時代は当然エースで4番。投げては抑え、打っては勝ちをもたらす。そして主将も兼ねた。他チームでも「内川聖一」の名を知らない者はいなかった。