前回の当コラムで、人間は「人から学ぶ」「本から学ぶ」「旅から学ぶ」以外に学ぶ方法を持たない動物である、と指摘した。自分自身を振り返ってみれば、この3つの方法の中では「本から学ぶ」ウェイトが一番高かったような気がする。そこで、今回は、本から学ぶことの効用、即ち「読書のすすめ」について私見を述べてみたい。
読書の効率性
例えば、アメリカのオバマ大統領に直接会って話を聞きたいと考えた、と仮定する。飛行機のチケットを買ってワシントンに飛び、1ヵ月滞在して毎日ホワイトハウスに通ったとしても、オバマ大統領に会える確率は限りなくゼロに近いだろう。しかし、リンカーンの話は、実は700円も出せば、ゆっくりと聴くことができるのだ。「リンカーン演説集」を買って読めばそれで足りる。このように、読書は人に会うことや旅に出ることに比べれば、経済効率が著しく高いのだ。これが読書の第一の効用である。
このことは同時に、読書が著者との対話であることを教えてくれる。人に会って話を聴く時は、じっくりと相手の話に耳を傾けなければならない。読書も全く同じである。およそ人との対話に、速読などあり得ない。速読なるものが百害あって一利なしと考える所以である。いうならば、速読は、観光バスに乗って世界遺産の前で10分間停車し、記念写真を撮っては急いで次の世界遺産に向かう旅のようなものだ。どこどこに行って写真を撮ったという記憶は残るかも知れないが、恐らく何を見たかを明確に覚えている人はほとんどいないだろう。速読は読書に対する冒涜に他ならないと考える。
古典の重要性
確か、恩師、高坂正堯先生の言葉だったと記憶しているが、「古典を読んで分からなければ、自分がアホやと思いなさい。新著を読んで分からなければ書いた人がアホやと思いなさい(即ち、読む価値がない)」と大学で教わったことを今でも鮮明に覚えている。古典は人類の長い歴史の中で選ばれて今日まで残ってきたものであって、いわば市場の洗礼を十二分に受けている。一冊の古典はビジネス書10冊、いや100冊に勝るかも知れない。経済学で言えば、アダム・スムスの国富論は、今でも書店に並んでいる数多の現在のビジネス経済書100冊に優に匹敵するのではないか。