ダイヤモンド・オンラインに寄稿をすると、同ウェブサイトが提携する配信先の各メディアには、少なくないコメントが寄せられる。それらを眺めてみると、国民一人ひとりが着実に発信力や存在感を増しており、メディアとの関わりを通じ、国民が「第5の権力」として君臨する前兆を強く感じる。日本の民主主義の質を高める上では、それは歓迎すべきことのように思う。
筆者は寄稿した記事に対して、どのようなリアクションがあるのかをしばしば確認している。これは民間企業が自社の商品や広告などに対して、どのようなリアクションが起きたのかを把握するマーケティング調査の位置付けに近いかもしれない。
コメント欄に表れる賛否の傾向も見るが、それ以上に注目するのは、批判意見の中に存在する合理的な意見や面白い切り口である。逆に根拠のない人格批判などのコメント部分は受け流す努力をしている。精神的なダメージから自らを守ることもさることながら、建設的に論考を深堀りすることができないためである。
学びの多い冷静なコメント
実は、記事に対する冷静なコメントや鋭い指摘に共感することは少なくない。例えば、以前に寄稿した記事「『人口減少』は悪という固定観念を捨ててみよう」では、人口減少社会を受け入れ、従来の人口増加と経済成長に幸福度を依存する向きを改めるべき、という内容を展開した。この記事へのコメントに、「人口減少社会に向けて『人口維持』『経済維持・成長』『経済依存のない幸福』という3つの方向は並行して行うことができる」という趣旨のものがあった。それを見た時に、確かにその構成で論点を絞ったほうが、より建設的な展開を導けたと感じた。
個々人の声が、現在のように可視化されなかった時代は、メディアなどの発信者側が読者を『一般大衆』と一括りにしていたように思う。しかし冷静に考えてみると、大衆と呼ばれる読者の中には有識者や起業家など様々な分野で活躍する人が存在するうえ、彼らは時によって発信者となる。さらに言うと、社会的に有名でなくとも深い見識を持つ人々も多数存在することは、自らの周りを思い浮かべるだけで容易に想像がつく。発信者は読者を軽んじてはならない。